モザンビークを旅する⑤ 世界遺産「モザンビーク島」〜ナンプラからミニバス&トラックで行く日帰り完全ガイド〜

2019年11月19日、天気晴れ。

モザンビークを旅する

モザンビークの旅も今日で5日目!ここまで2日間をほとんど移動に使っているのですが、それでも充実した旅ができているなぁと感じるのが不思議です。ポルトガル語圏の国というのが一つ大きな刺激(しげき)になっているので、旅をするのが楽しいモザンビーク。そんな本日も予想を超える面白い旅が待っていました。

先に場所を確認しておきます。昨日の夜にやってきたのが④の「ナンプラ」です。今日はここから東に180kmほど移動して⑤に位置する「モザンビーク島」を目指します。

モザンビーク島への行き方

日帰りで行って帰ってこようということで、ナンプラの宿を5時に出発。宿の方に教えてもらったバス乗り場へ向かいます。朝から賑(にぎ)やかなバス乗り場!モザンビーク島に行きたいと伝えるとすぐに目的のバスが見つかりました。料金は150メティカル(約260円)です。

バスは1時間ほど待って出発しました。それにしてもまぁすごい乗車率!車内が満席になると出発するのがアフリカではよくあるパターンですが、その『満席』の概念(がいねん)も国や地域によって異なります。今回は久しぶりの立ってでも乗れるスペースがあるなら客を入れるスタイルです。

さぁ、ここで大切なことを一つ!昨日もブログで書きましたが、現在モザンビーク北部は治安に少し心配が必要なエリアになっています。そのため、このナンプラ⇄モザンビーク島間には何回か検問ポイントがあり、乗客の身分証明書の確認が行われます!旅中は基本的にパスポートのコピーを携帯(けいたい)して、原本は宿の安全な場所に保管するのがベストですが、この区間ではモザンビークビザも確認されるので、コピーではなくパスポート原本を持参してください。私は今回たまたまパスポートを持っていたのでラッキーでした。

小さな町が点在するこの区間は移動する地元の人が多く、町に着くたびに乗客の入れ替(か)えでごった返す感じです。

そしてバスに乗ること2時間半!ついに到着したのは…どこ??というよくわからない場所で降ろされました。「ここ(★)で乗り換えだ!」てっきりこのバスでモザンビーク島まで行くのかと思っていたらまさかの途中までのバスだったんです。ということでお兄さんが指差す先に待っていたのは

トラック〜!!荷台に乗ってガッツリ移動するのはモーリタニアぶりです。

が、あの時と違うのは一人じゃないこと。一体何人乗るの!?という状態でトラックは進みます。ちなみに料金は100メティカル(約170円)。

座るのは荷台の縁(ふち)のギリギリのスペースで、さらに当然タテにもヨコにもゆれるトラック。なんてスリル満点な移動なんでしょう!

さらに追い討(う)ちをかけるようにどんどん乗客が増えます。はじめはあまりにビックリしすぎてポカーンという感じでしたが、慣れてくるとこの面白すぎる状況に笑いが込み上げてます。もちろん外国人旅行者は私一人だけですが、地元のみなさんがウェルカムしてくれるので居心地はとっても◎。乗り心地はかなりハードですがね。

トラックの荷台に乗っていても売り子さんたちは停車するたびに一斉(いっせい)に寄ってきて商売をスタートします。美味しそうなマンゴーを持ってきてくれるのですが、この状況じゃ買えないよ〜と。それでも笑顔でサヨナラをしてくれるので嬉しくなります。

時折やってくる衝撃(しょうげき)にも耐(た)えながら走り続けること1時間半。ナンプラから合計4時間でついに到着したのが、目的地であるモザンビーク島への橋の入り口です。まさか4時間もかかるとは思ってなかったのでココに辿り着いた時点でかなり達成感がありますが、今日のゴールはこの先!

およそ3.5kmあるこの橋。トラックが到着するとすぐにバイクタクシーのお兄さんたちの客引きがありますが、せっかくなので歩いてみることに。

細い橋なのでインド洋に包まれたような絶景が360度に広がります。やっぱり美しすぎるインド洋!

海には楽しそうに泳ぐ子どもたちや船に乗って釣りをする大人たちの姿が。どこまでも透(す)き通る青い海はモザンビークの宝です。

3.5kmは結構長く、海を楽しみながらゆっくり歩いているとなんだかんだで50分ほどかかりまして。ようやく到着したのがモザンビークが誇(ほこ)る世界遺産「モザンビーク島」です!!

⑤モザンビーク島

モザンビーク島は、モザンビーク北部のモザンビーク海峡モスリル湾の間に位置する島。約14,000人が住んでいる島で、かつてポルトガルの植民地だったときにはモザンビークの中心的な都市として機能していた1498年にヴァスコ・ダ・ガマが到達するよりもずっと前から、ここはアラブ人の港であり、造船所でもあった。1507年にはポルトガルが港と海軍拠点を建造し、1522年にはノサ・セニョラ・デ・バルアルテ礼拝堂が建てられた。この礼拝堂は、南半球における現存最古のヨーロッパ建築と見なされている。16世紀にサン・セバスティアン要塞が建造され、次いで建てられたポルトガルの植民都市モザンビークは、ポルトガル領東アフリカの首都となった。同時に、この島はキリスト教の重要な伝道拠点にもなった。(中略)。スエズ運河の開通によって、島は衰退に向かった。1898年には首都はモザンビーク本土のロウレンソ・マルケス(現マプト)に移転された。Wikipediaより

このあと紹介する建物と情報をリンクさせたかったので、いつもより長めにWikipediaの説明を引用させていただきました。

かつてこの国が「ポルトガル領東アフリカ」という植民地だった際の首都だったのがこの島。首都と聞くと大きな都市をイメージしますが、2時間もあればゆっくり歩いてグルッと一周できてしまうくらいの小さな島になります。そんな島がかつてこの国の中心だったというのは今の面影からは信じられません。

が、やはりこの海です。良い港があればそこに船は寄港し、貿易の拠点(きょてん)として経済が回っていく。400年前にはものすごい盛り上がりを見せていたんだろうなぁと想像しながら町を歩きました。

キリスト教を広める拠点でもあったモザンビーク島。島の中には立派な教会が。そしてなんと日本にキリスト教を広めたフランシスコ・ザビエルもこの島に滞在していたといわれています。

島の一番北に位置するサン・セバスチャン要塞(ようさい)。オランダ艦隊による侵略を防ぐために造られました。

砦(とりで)の中には白い壁の建物が保存状態良く今も残っています。植民地支配の歴史を今に伝えるこの場所。

高台から眺める一面に広がる青すぎるインド洋と無機質な白い廃墟(はいきょ)のコントラストが印象的です。入場料は200メティカル(約340円)。

そしてこの要塞のさらに北。高台から身を乗り出すようにしてようやく見える小さな建物がノサ・セニョラ・デ・バルアルテ礼拝堂です。なんと南半球最古のヨーロッパ建築だそうで!こんな海沿いにありながらよくその姿を今に残しているなぁと感慨(かんがい)深くなります。

モザンビークの歴史の始まりを感じるモザンビーク島ですが、今もこの島で暮らす人々ももちろんいます。島の子どもたちはとっても元気!

海沿いではなんと砂浜でステキな遊びをする男の子たちを発見。砂で作った家の中に端材(はざい)を家具に見立てて配置して楽しむ彼ら。まるで建築デザイナーのようなその技に感動してしまいました!

島の中にはカフェやホテルもいくつかあります。今日も天気が良く、先ほどの橋からずっと歩き続けたので休憩(きゅうけい)がてらホテルのレストランに入ることに。

ローカルな食べ物が食べたいですと伝えると出してくれたのがこちらの魚をトマトやジャガイモといっしょに煮た料理です。塩気がきいてるやさしい味で、シマ(モザンビークではトウモロコシ粉を炊いた主食を「シマ」と呼びます)との相性もバッチリ!

パステルカラーの街の色づかいはアフリカ西部の島国カーボベルデを思い出させます。ポルトガル植民地の歴史を持つ国の特徴です。いろいろな国を旅しているとこういう共通点にハッ!と気付ける瞬間が嬉しいもの。

人が生活する島というのは本当にゆったりとした時間が流れます。モザンビーク島は小さい島の中に様々な魅力(みりょく)がギュッと詰まったステキな場所でした。

さぁ、さすがにもう歩き疲れたので帰りはバイクで橋を渡ります。50メティカル(約90円)ととても安いからビックリ!海沿いをバイクで、さらにヘルメット無し(日本では違法!)で走るのは最高の気分です。

橋を渡り切ると夕方の街は人で混み合っていました。皆さんのお目当ては今日とれた魚たち!

その新鮮で美しいこと!中心地として栄えていたのは昔の話ですが、モザンビーク島周辺が今も人で賑(にぎ)わっている背景にはこの美しい海の存在が大きいのかもしれません。

海の恵みを感じる活気ある町の様子を見たところで、本日は日帰り。そう、来た道を戻ります。…もしかしてミニバスがあるかな〜と思いながら、町の人に聞いてみると

ありませんでした。帰りもやはりトラック!ですが、行きにだいぶ乗り方に慣れたので帰りは夕暮れ時の景色や空気を楽しめまして。といっても行きと同じく帰りも乗り換えがあり、やはり4時間。大変な移動であることには変わりませんが、地元の人と同じ風を感じられるのがなんだか嬉しい時間でした。ちなみに帰りは検問は一切無し。日が沈むと業務は終了するようです。

世界遺産に行く!ということで快適な旅を思い描いていたのですが、かなりローカルで刺激的な移動を経験した本日。が、その分思い出に残ること間違いなしのモザンビーク島日帰り旅がこれにて終了です。この国の名前の由来となった島はたどり着くまでもがエキサイティングで魅力的な島でした。

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