2019年4月19日、天気くもり。
目次
チュニジアの歩き方
やはり海外一人旅というのは気が張るもので、知らず知らずの間に疲れ(つかれ)も溜まって(たまって)いるようです。夜はホテルのベッドでぐっすり眠り(ねむり)、朝起きるのは5時。そこから前日のブログを書いて1日が始まります。今日はけっこう時間がかかってしまったので行動開始が遅く(おそく)なりましたが、それでも9時には出発できました。日本にいた時の自分と比べたらなんと健康的なことか!旅は自身のライフスタイルも変えていきます。
「ケルアン」へ
ここまでチュニジア国内では電車や鉄道などで移動してきましたが、今日の最初の移動は『ルアージュ』という乗合バスを使います。8人ぐらいが乗れる小さなバスです。こちらは行く方面ごとに客が乗り、満員になると出発するというシステム。つまり満員にならないといつまで経っても出発しません。これは南部アフリカでも一般的な乗合バスのルールです。バスの呼び名は各国ごとに違い、チュニジアではルアージュと呼ばれています。その名前の響き(ひびき)の美しさも影響(えいきょう)しているのか、とてもキレイで乗り心地は快適(かいてき)!このバスのクオリティーにはビックリ!いずれ南部アフリカの乗合バスを紹介する際に見比べていただけたらと思います。
それにしても、今日は朝からチュニジアの人びとの助けられました。まず、最初に行った場所がタクシー乗り場だったので、そこのお兄さんたちが
「ここじゃないぞ!ルアージュ乗り場はあっちだ!」
と教えてくれて、次にルアージュ乗り場でルアージュに乗りこんだら、私の隣(となり)に座った(すわった)若い学生さんに運転手がアラビア語で自分を見ながら話しかけてるんです。話の内容はこうだったんだなと。
「この日本人、ケルアンに行くんだよ!バス乗り場近くまで連れてくからそこから歩いて向かうように英語で伝えてくれ!」
そのあと親切丁寧(ていねい)に英語でそのことを伝えてくれた学生さん。そして彼はさらにこんなことまで伝えてくれたんです。
「次のバスは13時頃(ごろ)かもしれない!ケルアン行きのルアージュもあるからそっちの方がいいかも!」
よし、そうなら!ということで、バス乗り場近くで降りた私は近くのお兄さんにケルアン行きの”ルアージュ乗り場”を聞こうとしたんです。が、やはりアラビア語の壁は高かった。「ケルアン、ルアージュ、ケルアン、ルアージュ」と単語だけで伝えても私の真意は伝わらず。結局道ゆく人に「あそこだ!あそこ!」と指をさしながら誘導(ゆうどう)していただいてたどり着いたのは”バス乗り場”でした。マジか。13時まで待つのか…。と思いながら、強面のおじさんに英語で次のバスは何時か聞くと、アラビア語で何かを伝えてくるんです。怖い(こわい)んです、顔は。でも次は両手をパーにして示してくるんです。でも心配そうな顔をしてる自分に最後はケータイを出して
「10*30」
と文字を打ってくれたんです。次のバスは10時半だぞと!
バスを待っている間はダンディーな彼がまたいろいろ教えてくれました。彼はジェルバ島という所まで行くそうです。そんな彼が言った言葉は本当に身にしみてわかるものでした。
「チュニジア人は誰(だれ)にだって親切なんだ。困ってる人がいたら当然助けるよ。」
彼は英語がしゃべれたので意思疎通(そつう)ができますが、強面のおじさんは完全にアラビア語のみ。それでもちゃんと思いが通じたこと、そしてそれを返してくれたこと。こんなに温かい気持ちにさせてもらって本当に感謝しかありませんでした。シュクラン!
バスは本当に10時半に出発。バス代は2.5ディナール(約90円)とこれまた驚きのお値段です。そしてバスに乗ること1時間半ほどで到着したのは『ケルアン』という街です。
④ケルアン
ケルアンはチュニジアの都市で、首都チュニスの南160kmにある。2003年時点で、15万人が暮らす。ケルアンは670年頃に建設が始まり、名前は”キャンプ”,”キャラバン”,”休憩場所”を意味するアラビア語のkairuwân,ペルシア語でのKâravânに由来する。ケルアン県の県都である。ケルーアン、カイルーアン、カイルアン、カイロワン、イラワーンとも表記される。【Wikipediaより】
スースから西に60kmほどのところにあるケルアン。スースと同じく壁(かべ)で囲まれた街はまるで迷路です!そしてこの街の中には数々の美しいモスク(イスラム教の方が礼拝をする建物)が点在しています。
世界遺産「聖都ケルアン」
大切なのはこれらのモスクは見世物ではなく昔から今もずっと人びとの信仰(しんこう)の場所であるということ。歴史的にも非常に重要な地で北アフリカに最初のイスラム都市として建設されたケルアンは『聖都ケルアン』という名で街全体が世界遺産に登録されています。
グランドモスク
「ウクバのモスク」としても知られるケルアンのグランドモスクは、ユネスコの世界遺産に登録されているチュニジアのケルアンにあるモスクで、北アフリカで最も印象的で最大のイスラム教のモスクの1つです。【Wikipedia英文和訳より】
あまりに大きすぎて全体を写真に収めることができないこちらのグランドモスク。それをちゃーんとわかっているのがこのモスクの向かいにある旅行者向けのお土産屋さんです。「屋上からモスクが見れるよ!」と上手に客引きをしてきます。…見たい!!となるのでつい入店。グランドモスクを上から眺めて、ついでに小さなお土産をお買い上げです。
シディ・サバブ霊廟(れいびょう)
チュニジア中部の都市カイルアンにある霊廟。ムハンマドの同志で専属の床屋でもあったアブ=ザマ=エル=ベラウィを祭る。7世紀の創設。17世紀にモスク、神学校などが増築され、現在の姿になった。【コトバンクより】
なんとも言えない美しい建物のデザインとタイルの模様。私の中の”モスク”というもののイメージが覆(くつがえ)されます。
Mosque of three doors
「三扉のモスク」または「ムハンマド・イブン・カイランのモスク」は、チュニジアのケルアン市にあるモスクです。 866年にMuhammadibn Khairunによって委託されたこのモスクは、世界で最も古いモスクの1つであり、アグラブ朝時代の建築設計の最も古い遺物の1つです。【Wikipedia英文和訳より】
私がイスラム教の国を訪ねるのはチュニジアが初めてですが、実は以前イスラム教の信仰が強いタンザニアのザンジバル島というところに行ったことがあります。迷路のように入り組んだ道や美しいドアの装飾(そうしょく)、そして何よりネコが多い。いろんな所に共通点を感じることができ、また一つ自分の世界が広がったように感じました。
そしてこのモスクですが、観光客でありイスラム教ではない私も中に入ることはできましたが、入ってはいけない場所というのが建物の中には存在しました。特に今日は金曜日で、イスラム教の礼拝(れいはい)の日ということで、いつもより入れる場所が少なかったそうです。お昼過ぎからは街中に演説のような放送が流れていました。何かな?と不思議に思って人に聞いてみると、コーランというイスラム教のお経だとのことでした。普段宗教について考えることが少ない私にとって、もうしばらく続くイスラム教の国の旅は大きな学びになりそうです。
チュニジアの食文化
活気のある街でもあるケルアン。街を歩いていると地元のおばあちゃんたちや学校終わりの学生、観光客など様々な人たちで賑わって(にぎわって)いました。街を歩いているとスパイシーな焼き魚のいい匂いが!
たまらずいただいてしまいましたがコレがもう最高!手で豪快(ごうかい)にいただくスタイルで、レモンでサッパリと、それでいて脂(あぶら)ののった魚は絶品でした。これで9.5ディナール(約370円)は信じられません。そして魚といっしょにいただくのはパン!
この丸いパンはチュニジアの文化の一つのようで、いたるところでパンを売ってるお店や、パンの入った袋(ふくろ)を持って歩いている人を見かけました。このパン、固そうに見えるんですが、意外とやわらかくて美味しいんです!
そしてバス移動に続きケルアンでもたくさんのステキな人たちとの出会いがありました。まずはこちらの肉屋さん。もしかして羊の肉かなと思い話を聞いてみると、ようこそケルアンへ!という感じで迎えて(むかえて)くれたおじさんたち。この肉はやはり羊でした。
右のおじさんには街中で偶然(ぐうぜん)もう一度会って、なんと向こうから声かけてくれました。
「あれは見たか?そうかじゃあこの道を曲がってまっすぐ行くんだ!じゃあな!」
と言ってかっこよく去って行ったおじさん。ただ、フランス語だったので自分がちゃんと理解できなかったこともあり、その通りの道順で行っても着きませんでした。しかし、それでもおじさんのおすすめだから見ときたいよなぁと思い迷路のような道を進んでいくんですが、まぁ見つけられず。
そこに若者7人くらいの集団がいたんです。…これは気をつけた方がいいかもしれない…と思っていると向こうから「ハロー!」と声をかけてくるので軽く緊張(きんちょう)します。が、よし!と思い「ここに行きたいんだけど!」と場所の名前をつげると
「オッケー!ついてきて!」
一人の男の子がすかさず前を歩いていくんです。疑う(うたがう)時間もなくとりあえずついていくことに。…これはもしやあとでいろいろと…?なんてことも頭によぎったのですが、
「はい、ここだよ!どうする?写真とろっか?」
そのあとも何もなく、本当にただ目的の場所まで案内してくれた彼ら。17才の高校生で、バスケットボールをしてるとのこと。たしかに左の彼の身長は確実に190cmはありました。こんな好青年がいるのか!32のいわゆる彼らからしたらおじさんが道案内してくれと声をかけて、お前が行けよ~のくだりもなく、ただ案内してバイバイと帰っていく。…かっこよすぎる若者でした。シュクラン!
今日はまだまだいろいろあったのですが、後日のネタにしたいと思います。そして最後に。これはアフリカだけじゃなく世界中いろんな国を旅してるとあることなのですが、アジア人の自分を見ると「ニーハオ!」と声をかけてくる人がいます。これ、昔はイヤでした。日本人ですけど!?ってイラっとしてました。だからいちいちこれに対しては「ノー、日本人です!!」と返していたのですが、最近少し考え方が変わってきました。もちろん、中には自分のことをバカにしている人もいるかもしれません。でも、少なからず興味(きょうみ)をもってくれている証拠(しょうこ)でもあります。そしてこれを無視(むし)するのは一番ダメな気がします。ちゃんと反応してあげる!反応がコミュニケーションでは一番大事だから。なのでこう言います。
「ニーハオ!でもね、自分日本人なんだ!だから…」
すると最後まで言う前に
「こんにちは!」
と返ってくることも。そう、アジア人の区別がつかないのでとりあえず一番世界で広まっている中国語で挨拶(あいさつ)してくるだけなんです。今日も同じことがありました。さらに今日は変化球で
「がんばれ日本!」
なんて返ってきました。さすがサッカーの国チュニジア。日本の言葉を知ってもらえているというのは本当にうれしいものです。
そしてこれを機に日本でチュニジアやイスラム教の国の人に会った時に挨拶ができるように、ぜひアラビア語の「こんにちは」を覚えておいてください。
「アッサラームアレイクム!」
今日はそのあと来た道をバスではなくルアージュ(5ディナール)で戻っていきました。車窓から見える景色は広大な大地。地平線がきれいに見える風景に、アフリカに戻ってきたことを強く感じるのでした。
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