2022年5月19日、天気晴れ。(※2023年4月更新)
目次
ブルンジを旅する
新しい国に入国した際、まず最初にすることは現地語の
「ありがとう」
を教えてもらうこと。
誰もが幸せになる魔法の言葉です。
昨日は空港での入国の際に時間がかなりあったので、さっそくPCR検査を行ってくれたスタッフさんに聞いてみました。
「『ありがとう』はブルンジの言葉では何というんですか?」
するとポカーンとした表情のお姉さん。
「・・・あれっ?」
と思った瞬間に気付いたこと。
この国の公用語は
『フランス語』
だったんです。
なので、フランス語で質問・・・はやはり厳しいので近くにいた英語が少しわかるお兄さんにも助けてもらいなんとか伝えることができました。
フランス語の独学は継続中ですが、やはりしゃべるのは難しいです。
が、
『通じた時の喜び』
これがあるから言語学習は楽しいもの。
さっそく教えてもらった言葉を伝えて空港をあとにしたのでした。
「ムラコゼ!」
※ブルンジの言語の一つキルンディ語。
隣国ルワンダのルワンダ語とありがとうは同じです。
思っていたブルンジのイメージとは異なる街の様子に驚いた昨日。
行き交う人々の様子や街並みにはこれまで見てきたアフリカとはまた違う雰囲気を感じ、さっそくこの国への興味が湧(わ)いたところです。
本日からスタートするアフリカ34ヶ国目ブルンジの旅。
まずはこの国の
『首都』
ブジュンブラを巡ります。
①ブジュンブラ
ブジュンブラは、タンガニーカ湖の北東岸に面したブルンジの都市。
【Wikipediaより】
ブルンジの独立以降、ブジュンブラは長らく首都であったが、2019年1月16日にギテガへ遷都された。
一方で、2019年2月4日に、ブルンジにおける「経済の首都」に定められた。
ブルンジ最大の都市で、人口は497,166人(2008年国勢調査)。
人口増加率が非常に高く、2050年には1,251,636人に達すると予測されている。
ここで私にとっては衝撃の事実。
今回ブルンジに来てから初めて知ったのですが、なんと現在ここは『首都』ではないんです!
必死に世界地理を暗記していた中学1年のあの頃。
「ブルンジ・ブジュンブラ」
はリズムが良くてすぐに覚えました。
まぁその頃はこの組み合わせを覚えただけで、54(当時は53)もあるアフリカの中のどこにブルンジがあるかはわかってませんでしたが。
なので当然この街が首都だと思っていたわけですが、そこにこの情報が入ってきたことでまぁビックリ!
改めまして、本日は最大都市
「ブジュンブラ」
を歩き回ります。
この国を旅する際、常に頭の中に思い浮かぶのは
『世界最貧困』
の文字です。
世界最貧国ブルンジ
アフリカの中でも経済開発が遅れている国のひとつであり、世界最貧国に数えられている。
【Wikipediaより】
世界銀行によれば、ブルンジの2019年の1人あたりGNIは280ドルであり、データが存在する国192か国中最下位と著しく低い。
その他の様々な経済指標でも世界最低レベルである。
外国人旅行者向けの入国時のPCR検査やビザの値段が高い理由の一つは、ここで外貨を獲得するという狙(ねら)いがあることが予想できます。
さらに、この国は基本の宿代もお高め設定!
Booking.comで調べるとブジュンブラだと1泊最低5000円はします。
安さを求めるバックパッカーにとってはちょっと厳しい条件なわけですが、この国に来たらもう考えを入れ替えます。
「地元にお金を落とす!」
どのように還元されるかはわかりませんが、ケチケチせずにしっかりお金を使うことも時には大切です。
ブジュンブラの街並み①
ということで、さぞかし街は閑散としていて、人々はギスギスしている様子を思い描いてやって来たブルンジ。
ですが、実際に目の前に広がる街並みにいきなり驚かされました。
「なんですかこの街は?」
「これが世界最貧困の国の街?」
もちろん旧首都なのである程度は都市としての形を保っているとは思っていました。
が、失礼かもしれませんがこれほどとは。
整備された道路に立ち並ぶ商業施設。
ものすごくしっかりとした都市の姿が広がっています。
世界最貧困の街がこんなだとは私を含めて誰も想像していなかったと思います。
これがリアルです。
さらに驚かされるのは少し道を入ると石畳の道が続いていること。
こんな道路アフリカでこれまで見たことがありません。
加えてその石畳がとーってもキレイに敷(し)かれていることが何よりの驚きポイントです。
敷くだけ敷いて放置というのがなんとなくアフリカではよくあるケースかなと思うのですが、今日歩いた限りではどこもしっかりと整備されている様子でした。
こんな
『アフリカ』
見たことありません。
閑散としているどころかものすごく人が行き交うブジュンブラ。
みなさんの格好もイケイケな感じで、その中でも目立つのがサングラスをつけた人の姿!
オシャレなメガネをかけている方も多いです。
これはアフリカでは結構珍しい光景。
街もカラフルな色使いが印象的です。
どこかポルトガル植民地を感じさせるパステルカラーの建物もチラホラ見かけます。
ベルギー植民地時代の名残
さらにさらに!
まさかアフリカの、しかも世界最貧困であるブルンジでこの文字を見るとは思っていませんでした。
現在営業しているかは不明ですが、そこには
「サウナ」
と書かれた看板が!
しかもここだけではなく今日だけで3ヶ所は見つけたサウナの文字。
・・・一体この国はなんなんだ!?
そこでパッと思いついたのはこの国が歩んできた歴史です。
ドイツの支配下にあったブルンジは第一次大戦後にベルギーの統治下に入ります。
このベルギー。
実は「スパ」の語源となる地名があるという温泉&サウナの国なんです。
その影響がこんなところに残っているとは!
もちろん
「ベルギー=ビール」
というのも正解です。
ベルギー領コンゴという名の植民地下に置かれていたコンゴ民主共和国、ルワンダ、そしてブルンジの3ヶ国で愛されるビールPRIMUS。
空港の出口の一番目立つところに大きなモニュメントを置くのはすごいセンスだなと。
※今回の旅中に同じものを3つ見かけました。
街を歩いていても看板があちこちに。
ビールへの誇(ほこ)りというのもアフリカの国を知る上での一つの指標になります。
しっかり手入れしているであろう街中の緑も本当にキレイで。
あまり好きな表現ではありませんが、今日はあえて何度も言わせてください。
これが
『世界最貧困』
の景色です。
子どもたちの物乞い
が、一方で。
昨日今日とこの街を歩いている中で、子どもたちに声をかけられた回数は数え切れません。
「おなかが空いた」
「食べ物ちょうだい」
「お金ちょうだい」
彼らが話すのは現地語なので言葉では理解できませんが、内容はハッキリと伝わります。
バスを降りると、道ですれ違いざまに、道路の反対側から、車の通りが多い交差点で、お店で買い物をしている最中に。
どこでも物乞(ご)いをされます。
さらに特徴的なのが、彼らの行為は旅行者の私だけへの特別なものではありません。
地元の大人たちにも彼らは声をかけ、なんならしつこく後を追う様子も見られます。
これが彼らの生きる道なんだなと。
ただじっと座ってお金を恵んでもらうのを待つわけではなく、強気でガンガン大人にアクションを起こす子どもたち。
変な表現ですがその姿からは生きる強さを感じます。
やはりここは
『世界最貧国』
ですが、治安に対する心配をそこまでしていない自分がいるのがこれまた不思議なんです。
まわりからの目線は常に感じますが、どちらかというとアジア人への純粋な興味からのもののようで。
怖さや冷たさは覚えることは一切ありません。
なので街歩きが楽しい楽しい!
街の東側には山がそびえるブジュンブラ。
自然と高い所に向かって足が動きます。
ブジュンブラの街並み②
目指していたのは国の統一記念碑がある広場(Monument de l’Unité Nationale)。
その手前にはブルンジの反植民地運動を率いたルイスルワガソレ王子のお墓(Louis Rwagasore Mausoleum)があります。
ここにも入ってみたかったのですが、入れないと言われてしまったので外から見て終了。
ちなみに100ブルンジフランのデザインはこのお墓とルイス王子。
こちらは日本円で約6円になります。
そしてたどり着いた目的の広場がこちら。
きっと下の景色が一望できるだろうと期待してやって来たのですが、結果はこの通り。
「ここまで結構な距離を歩いてきたのに~」
となるわけですが、まぁ仕方ありません。
なので最終奥義発動!
確実に景色が見えるであろうホテルへGOです。
こちらのKiriri Garden Hotelはブジュンブラの中でもトップ10に入るであろう高級ホテル。
中に入ることを軽く躊躇(ためら)うレベルですが、レストランを利用するという口実で堂々と中に入れてもらいます。
するとそこから見えたブジュンブラの街並み。
その奥には海のように広がるアフリカで2番目に大きい湖
「タンガニーカ湖」
の色鮮やかな青がキラキラと輝いています。
世界最貧国ブルンジの最大都市の景色に驚きっぱなしの1日でした。
最後に。
昨日100USドルを支払って受けたPCR検査の結果はほぼピッタリ24時間後に届きました。
陰性でした!
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