ガーナを旅する⑥ 世界遺産の城塞群巡りPart2 〜サンティアゴ要塞&エルミナ城〜

DAY249の続き

2021年7月17日、天気くもり時々晴れ。

ガーナの歩き方

ガーナの世界遺産は全部で2つ。一つは先日訪れた第二都市クマシを拠点とするアシャンティ王国の文化遺産である『アシャンティの伝統的建築物群』。そしてもう一つが『ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群』です。

ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群

事前にこの城塞群について調べた際には、11の要塞(ようさい)が海沿いにあるのか~ぐらいの感じでしたが、ここガーナに来てこの国の歴史に触れたことで、この世界遺産に対する見方が変わりました。他の西アフリカでは見ることのない海岸沿いに建設された巨大な要塞。建設した国が違うことからもこのガーナの地がヨーロッパの覇権争いの中心であったことがわかります。ヨーロッパのアフリカ侵出が始まった歴史を語り継ぐ世界遺産です。

そんな11ヶ所の世界遺産城塞群巡り、いくつ行けるかチャレンジ!スタート地点の①ケープコースト城には昨日行ったので、今日訪れたのはまだ②サンセバスチャン要塞のみです。…まだ1ヶ所だけじゃん!!はい、その通りです。本日の午前中は結局サンセバスチャン要塞だけしか行けず。ということで午後はガンガン行きます!!ガーナの西の海岸沿いにある都市『タコラディ(Takoradi)』からさらに西へ30kmほど行ったところになんと2つも要塞があるとのこと。③バテンシュタイン要塞と④メタルクロス要塞(別名:ディスコーブ要塞)です!

ということでまたまた乗り合いバスに乗車します。ガーナの海岸沿いはバスが何台も行き交い走っているので、一度移動を始めるとそこからは”バスが見つからなくて困る!”なんて事態は一切起きません。まるでバトンリレーかのように次々とバスを乗り換えていきます。

そしてすぐに乗客もいっぱいになるので出発するのもいいところ!さぁこれでまた次の要塞に行けるぞ~!!とワクワクしたのも束の間でした。…反対方面に進んでるぞ??

最初は運転手さんが私をダマしたのか!?なんて疑ってしまったのですが、間違っていたのは私でした。目的地の町の名前を誤って認識していたため、要塞とは違う方面行きのバスに乗ってしまっていたんです。

どんどん逆、つまり来た道を戻るバス。ちなみにちゃんと要塞の名前も伝えていましたが、地元の人たちにもあまり認知されていないらしくポカン?という感じでした。そう、この11の城塞群を巡ろうとする人間は稀(まれ)なんです。

途中でバスを降りて引き返すことも考えましたが、ここからまた戻るのは大変だと判断してここはあえなく断念!少し悔しさも残りますが、要塞はまだ他にもあります。流れに身を任せるということも時に大切!ということでそのままスタート地点のケープコーストを目指して東へ。

シャマを通過したところにあるコメンダという町にも⑤イングリッシュ要塞があるそうですが、ここは通過します。

またまた私の行き先を心配してくれる乗客の方のやさしさに助けられながら、バスを乗り継いでやって来たのはケープコーストから15kmほど手前にある「エルミナ」という町です。

海岸沿いを行って帰ってきてもう時刻は夕方4時!今から急いでも良いことはないので、ゆっくり町中を歩いて本日最後の目的地である要塞を目指すことにしました。日がだいぶ傾いてきた時間帯の町にはなんともノスタルジーな雰囲気が漂います。

地元の人々で賑わうエルミナの町。メインストリートを真っ直ぐ進むといよいよ海岸沿いにぶつかります。

そして実はこの町には2つの要塞があり隣接しています。一つ目は坂の上った先にある、小高い丘の上に建つ建物です。

サンティアゴ要塞

サンティアゴ要塞、またはコンラーズバーグ要塞は、オランダが1660年代に建設した要塞です。もともとこの場所にはポルトガルが建てた礼拝堂がありましたが戦争により焼失し、その跡地に建設されました。ガーナの中央州にあるエルミナ城の向かいに位置し、エルミナを攻撃から守る役目をもったサンティアゴ要塞。その後1872年にオランダは要塞をイギリスへと譲渡されました。

Wikipedia英文参考】

エルミナの町の一番高い所にサンティアゴ要塞はあります。目の前のギニア湾を監視するにはまさにもってこいの場所!

これまで訪れた要塞とは異なり海までに少し距離があるのは、ここが海の警備を目的として建設されたから。要塞にもそれぞれ役割があるわけです。

そしてこの高い所から見下ろすエルミナの町がまぁ絵になります。

ここは漁師の町。入江にはたくさんの船が並びます。

かつては周辺の警備のためにつくられたガーナの城塞群ですが、今はこうして町の様子を一望できる絶景スポットになっています。エルミナの町の美しさを思う存分堪能(たんのう)することができるサンティアゴ要塞です。

そんなサンティアゴ要塞からの視界にバッチリと入る海沿いに位置した白い建物。遠くから見てもその大きさがよくわかります。あれがこの町のメインの要塞『エルミナ城』です。

エルミナ城

エルミナ城は、現在のガーナ、エルミナに、1482年にポルトガル人によって建てられた城である。スペインとの交易競争を意識したポルトガルがギニア湾の防衛基地としてつくったサン・ジョルジェ・ダ・ミナ城。のちにオランダによって占拠され、その名をエルミナ城と改めた。サハラ以南で最古のヨーロッパ建築で、ギニア湾で最初の交易地となったこの城は、後に大西洋奴隷貿易の拠点となる。

Wikipediaより】

大航海時代にこのガーナの地、いわゆる黄金海岸を最初に発見したポルトガル。この地で採掘される金の貿易の保護を目的として建設されたのがこのエルミナ城です。ここから多くの金がヨーロッパへと輸出されました。

ガーナの城塞群の中でも最古を誇るのがこの城。ですが建物の見た目からその事実を感じることは微塵(みじん)もありません。ものすごくキレイな状態で今も海岸沿いに陣(じん)取る巨大な要塞。海風の影響はないのかが気になるところ。

ちなみにこのエルミナ城とケープコーストにあるケープコースト城の2つだけが”要塞(fort)”ではなく”城(castle)”という名称になっています。違いはおそらくその規模なのかなと。

このエルミナ城も3階建てほどの構造になっていて、建物中央には教会が、上部には政府役員用の部屋などがあります。そして下部には奴隷として売られた人々を収容する場所が。時代の変化によって金から奴隷の貿易へとシフトチェンジしたのはこのエルミナ城ももちろん同様です。

頭を下げてぶつからないように気をつけないといけないほどの細くて暗い通路。写真はとても明るく写っていますが、これはiPhoneのナイトモードで撮影したからこう見えるだけで、実際はほとんど光はありません。そしてこの先には新大陸アメリカへの片道切符の『帰らずの門』があります。

扉の奥から差し込む光に人々は何を見たのか。

今日もまたいろいろと考えさせられるケープコーストからの日帰り城塞群巡りでした。ただ、歴史に触れると同時に地元の人たちの温かさにもたくさん触れた本日。

最初は不安だった乗り合いバスの移動ですが、みなさんのおかげでもう安心して利用することができるようになりました。本当にメダーセ!!

そして結果として今日巡ることができたのは3つの城塞群。乗るバスを間違えたことで2つ行きそびれたわけですが、エルミナ城をあとにしてケープコーストに戻ってきたのが夕方6時でした。となると、もし2つ(あとの図の③と④)に足を運んでいたとしても時間的に予定していた全ての要塞を巡るのは厳しかったなと予想できます。なので1日3つがちょうどいいかなと!

ということで城塞巡り中はお昼ご飯を食べる時間がなかったので、お腹ペコペコでやって来た海沿いのオシャレなレストランOASIS BEACH。波の音を聞きながらビールを飲んでいるとまたガーナという国の歩んだ歴史に思いが巡るのでした。

最後は『これがあれば私も全部行けた!』というどこにも載っていないガーナの城塞群攻略MAPです。

世界遺産の要塞群MAP

  1. ケープコースト城 (ケープコースト)
  2. サンセバスチャン要塞(シャマ)
  3. バテンシュタイン要塞(ブター)
  4. メタルクロス要塞(ディスコーブ)
  5. イングリッシュ要塞(コメンダ)
  6. サンティアゴ要塞(エルミナ)
  7. エルミナ城(エルミナ)
  8. サントアントニオ要塞(アキシム)

行けなかったので調べました。③④は「アゴナ」という町まで乗り合いバスで行き、そこから乗り換えて向かえば行けるそうです!

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