2021年7月13日、天気晴れ。
ガーナの歩き方
昨日泊まったのは久しぶりのドミトリー!旅行者が多くない西アフリカでは需要がないためにあまり見かけないドミトリーがガーナにはあります。こちらのThe Sleepy Hippo Hotelは1泊51セディ(約950円)!安宿はバックパッカー旅にはありがたいです。
さらに朝食をいただくとまたまた驚きが。出てきたパンはいわゆる日本人がイメージする『パン』です。これまではパンと言えばフランスパンだったわけですが、もちもちのトーストが出てきたガーナ。この国が他の西アフリカの国々とは違うぞ!ということをさっそく感じたところで、いよいよアフリカ30ヶ国目「ガーナ」の旅がスタートです!!
ガーナ
ガーナ共和国、通称ガーナは、西アフリカに位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。東にトーゴ、北にブルキナファソ、西にコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。首都はアクラ。同国は脱植民地化が活発であった最中の1957年、サハラ以南のアフリカにおいて初めて現地人が中心となってヨーロッパの宗主国から独立を達成した国家である。イギリス領ゴールド・コーストと呼ばれていたが、独立に際して国名を「ガーナ」に変更した。また、初代大統領ンクルマは、アフリカ統一運動を推進したことで有名。ダイヤモンドや金を産出しており、カカオ豆の産地としても有名。2010年12月から沖合油田で原油・ガス生産が始まり、国際的に大きな注目を集めている。
【Wikipediaより】
その名前はおそらくアフリカ54ヶ国の中でもダントツに有名なガーナ。ガーナといえばチョコレート、チョコレートといえばガーナ。この国はチョコの原料となるカカオの産地です。世界一のカカオ産出国はコートジボワールですが、『ガーナ』という名を冠したロッテのチョコレートがあるように、この国はブランディングがお見事!かつてこの西アフリかの地で繁栄した王国の名前を独立時に国名としたところにもアフリカを代表する国としての誇りが表れています。
ただ、日本ではあまりにロッテの『真っ赤なガーナ』の印象が強すぎるため、とにかくチョコレートの名前という印象しかないのが正直なガーナ。私もその内の1人でした。しかし実はこのガーナはアフリカにおいて非常に重要な歴史の一歩を踏み出した国になります。1957年、ヨーロッパ列強による長い植民地支配からサハラ以南のアフリカ(国民の多くが黒人の国)で最初に独立を果たし、自治を開始した国家。それがガーナです!
クワメ・ンクルマ
その独立を率いたリーダーであり、ガーナの初代大統領に就任したのがクワメ・ンクルマさん。アフリカを知る上で外すことのできない英雄の一人です。
クワメ・エンクルマは、政治家。ガーナ初代大統領。ガーナの独立運動を指揮し、ガーナとギニアから成るアフリカ諸国連合を樹立してアフリカの独立運動の父といわれる。アフリカ統一機構第3代議長。
【Wikipediaより】
ガーナの独立を皮切りにその後アフリカ各国は次々と独立を果たしていきます。その支援も積極的に行ったンクルマさん。アフリカを一つに!という考えのもと、国家間の連携にも取り組んだ彼の意思は、現在のアフリカ連合(AU、アフリカ版のEUのような組織)にも受け継がれています。
もちろん改革には痛みが伴うもので、光があれば影もある。彼の政策に対しては賛否両論ありますが、彼がいたから今があることは事実。間違いなく今日のアフリカの基礎をつくり上げた人物です。
『アフリカの英雄』と聞くとネルソンマンデラの存在感が強すぎて他のみなさんが目立つ機会はまぁほとんどないです。アフリカ独立運動の父であるクワメンクルマも是非この機会に頭の片隅に入れてもらえたら嬉しいです。ンクルマさんの激動の生涯について書かれたWikipediaのリンクもコチラに貼っておきます。
さぁ、先ほどから写真に使っているクワメンクルマの銅像。こちらはガーナの首都アクラにあるクワメンクルマ記念公園のものになります。中央には立派な銅像が立ち、彼にゆかりのある品々や写真が展示された資料館もあるこちらの公園。
さらにモニュメントの下にはなんと彼のお墓があります。入場料10セディがかかりますが、ンクルマさんのパワーを感じることのできるスポット。アフリカを知る上でも来てよかったと思える場所でした。
ということでまずはガーナを知る上での大事な情報をおさえたところで、いよいよこの街の首都アクラを歩いていきたいと思います。
①アクラ
アクラは、アフリカ西部ギニア湾に面したガーナの首都。海岸から20 kmほど内陸まで都市が広がる。ガーナ最大の都市であり、政治、経済、通信、交通の中枢である。2019年に世界的な経営コンサルティング会社A.T.カーニーが発表したグローバル都市指標によれば、政治、経済、文化の面でアクラは世界第93位の影響力を持つ都市と評価されており、アフリカ有数の世界都市である。
【Wikipediaより】
この『世界都市』という言葉は今回のアフリカ54ヶ国制覇の旅-第5章-ではコートジボワールの最大都市アビジャンに続いて2度目の登場になります。世界経済の観点から重要性や影響力の高い都市が集まる西アフリカ。
やはりこの国でもまず目が行くのは車の多さ!朝からものすごい渋滞がここでも発生しています。
もちろんガーナもコートジボワール同様、この渋滞をなんとかしようと立体交差をつくるなどの対策をしていますが、なかなかうまくはいかないこの問題。渋滞はアフリカの世界都市と呼ばれる場所のあるあるの一つです。
そして行き交う人もまた多いこと!これは少し警戒して歩かないといけないなぁと思うわけですが、ここでこれまでの西アフリカとは違う点が一つ。それが『英語が通じる』ということです。
このガーナはギニア湾沿いに広がる西アフリカの中では数少ないイギリスの植民地だった国になります。そのため近隣諸国はフランス語が公用語の国がほとんどの中、この国の人々は英語を話します。
なので英語が第二言語の私にとってはもう会話ができるというだけでだいぶ安心感があります。もちろんだからといって気は抜きませんが、このアクラの人混みや複雑な道路状況を考えるとこの国がフランス語圏だったら大変だったろうなぁと。
タクシーの運転手に行き先を伝えて値段交渉がスムーズにできるのは本当にありがたいこと。距離によって20~50セディほどで乗れるので、広いアクラの街を自由に行き来するにはタクシーが便利です。
窓の外に広がる景色も旧フランス領の国とは異なる首都アクラ。具体的にココが違う!とハッキリ述べることは難しいのですが、違います。建物の建築方法なのか街の構造なのか。感覚的に街の違いを感じるのがなんとも面白いものです。
ということで今日はクワメンクルマ記念公園もあるアクラの街の南側の観光スポットを紹介します。
アッシャー要塞&ジェームズ要塞
植民地支配の時代の前、1500年頃から始まった大航海時代。このガーナの地に広がるギニア湾は「ゴールドコースト(黄金海岸)」と呼ばれ、金の輸出が盛んに行われるエリアでした。そのため最初にこの地に目をつけたポルトガルやオランダ、そして後にやって来たイギリスなどの各国は貿易の拠点となる要塞(ようさい)を次々と建設。かつてはガーナの沿岸部には60以上の要塞が点在していたそうです。その大半はすでに姿を消していますが、その内の2つがこのアクラの街の海沿いに現存しています。それがアッシャー要塞とジェームズ要塞です。
この2つも十分に歴史を感じるのですが、規模は小さい要塞になります。要塞にもそれぞれ役割というものがあるんです。そして実はこれ以上に状態も良く、大きな要塞が11ヶ所あるガーナ。それらは『ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群』として世界遺産に登録されています。ガーナの海沿いに点在する11個で1つの世界遺産については今回の旅中に訪問する予定なのでまた後日詳しく紹介したいと思います。
つまりこのアッシャーとジェームズは残念ながら世界遺産に入れてもらえなかったかわいそうな要塞たち。アッシャー要塞はお金を払えば中を見学することができますが…今度世界遺産を見るからいいか!となってしまいました。ごめんなさい。
ただ、ちゃんと世界遺産の看板はあるんです。11ヶ所の選ばれし者たちだけでなく、残りの現存する要塞も全て含めて世界遺産!というガーナの思いを感じました。
そしてこの要塞。陸側から見るとただの建物の様相なんですが、これを反対側から見ると
ドン!!!!一気に高まるこの要塞感。その迫力に圧倒させられます。
要塞が建てられたのは海沿いということで、このアクラも海に面した街になります。地元の人で賑わうキレイなビーチもあるようです。ただ、この要塞がそびえる光景は他のアフリカの海沿いでは見ることのないガーナ独特の景色!
現在はこの要塞の雰囲気を活かしたレストランやバー、ホテルなどもあります。
クワメンクルマ記念公園を含めて、ギニア湾に面したエリアに歴史を感じさせるスポットが多いアクラ。海沿いにはこの街のランドマークになっている赤と白の灯台もあります。かつて黄金海岸と呼ばれたこの国の沿岸部。そしてココからガーナの歴史が大きく動き出すことになります。
歴史に触れることでもっともっと知りたくなったガーナという国。他のアフリカ諸国にも大きな影響を与えたこの国がわかると、見える『アフリカ』はさらに広がるはず!チョコレートだけではないこの”ガーナ”をしっかりと自分の目で見て、ココロで感じたいと思うのでした。
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