エリトリアを旅する② 首都「アスマラ」Part2 〜不思議な独裁国家の美しい世界遺産の街並み&魅力的な文化〜

2019年7月23日、天気晴れ。

エリトリアの歩き方

エリトリアに来てまだ2日目です。来る前はいったいどんな国なんだ!?と全く予想できなかったこの国ですが、たった2日しかいないのにも関わらず驚くくらいに居心地(いごこち)の良さを感じています。ですが、それに相反してこの国で起きることは今まで経験したことのないことの連続!いったい何なんだ!?自分でもよくわからない不思議な国、エリトリアです。今日は首都アスマラの様子をお伝えしながら、この国の不思議さの理由を書いていきたいと思います。

アスマラ

アスマラは、エリトリア首都である。標高約2300m高地に位置する。主な生産品は織物衣類ビールである。アスマラにはアスマラ国際空港があり、エリトリア第二の都市マッサワとはエリトリア鉄道で結ばれている。モダニズム建築のならぶ街並みが2017年に世界遺産リストに登録された。【Wikipediaより】

アフリカ大陸の中でも数少ないイタリアの植民地だったエリトリア。街全体が世界遺産!しかもそれが首都!!という非常に珍しい街がアスマラになります。面積は117,600kmと日本の三分の一ほどの大きさの小さな国になります。

世界遺産「アスマラ:アフリカのモダニズム都市」

色づかいはどこかチュニジアやモロッコなどのアラビア諸国を感じさせるものがあるのですが、その建築は明らかに北アフリカの文化とは異なるものがあります。西洋の文化が感じられるオシャレな建物たち。

こちらはなんと郵便局になります。その大きさと美しさがインパクト大!これが街の中にドンとあることに違和感を感じない街並みがまた面白いです。

銀行もまぁ立派!昨日、実はこのコマーシャル銀行(Commercial Bank)を目印にSIMカードが買えるお店を探していました。「コマーシャル銀行の近くにある!」と地元の人に教えてもらったので探しながら街を歩いてみたわけですが、なんと支店が5つぐらい結局どれかわからないというオチでした。そしてどの支店も見事なイタリア建築!

通りを歩くと建物の美しさに目がひかれます。そしてアスマラのタクシーの黄色がまぁ映えるんです。この色づかいもおそらく狙(ねら)ってのイエローチョイスだろうなと。

文化

街を歩けばイタリア植民地ならではの文化が感じられるアスマラ。まずは食文化。とにかくいたるところにオシャレでレトロな雰囲気のカフェがあります。そしてショーケースに並ぶ美味しそうな食べ物たち。カフェではイタリアの伊達(だて)男ならぬエリトリアの伊達男たちが、朝でも夜でもコーヒーや紅茶と甘いケーキなどをセットで楽しむ姿が見られます。

ということで私もエリトリアのカフェデビュー!コーヒーとドーナツをいただきましたが、これが最高の朝を演出してくれます。甘さ控え目なので私にもピッタリでした。よし、これで伊達男に一歩近づいたぞ!

ファッション文化

とはなりません。続いて感じるのはオシャレ文化。私の基本的な旅のファッションスタイルは黒Tシャツ&短パンなんですが、これがまぁエリトリアでは浮くわ浮くわ。一度タクシーに乗ったら「おい!短パンかよ!?寒いだろ!」とドライバーさんにツッコまれました。まぁ、確かに寒いんですがね。エチオピアもそうでしたが、髪型から服装(ふくそう)、そして靴を磨くなどオシャレへの意識が高いアフリカの人びと。その中でもエリトリアはさらなるワンランク上の伊達男を目指す国。

通りにはステキなセットアップのスーツが並ぶお店やシューズ専門店がこれまたたくさんあります。ちなみに、スーツを仕立てるテーラーさんのお店も発見しました。私も短パンを卒業して伊達男で旅をしたい!とも思うのですが、機動力重視ということでオシャレは今しばらく我慢。まぁ、本当のオシャレは内なる心だと言い聞かせて、自分磨きに精進したいと思います。

エリトリアの人々

建築、食、衣服と様々なところで感じられるイタリア植民地時代の面影。そして、昨日も書きましたが現在の隣国エチオピアとの独立を争った時代や、その前にはイギリスによる統治も経験しているなど、非常に複雑な歴史をもつエリトリアです。その歴史が影響しているのか、エチオピアと大きく異なるエリトリアの人々の気質があります。初日に乗ったタクシーの運転手はこう語っていました。

「エリトリア人はしゃべりすぎないし、主張しずぎないんだ。人の邪魔(じゃま)はしないように気をつけてる。相手のことをリスペクトする気持ちを大事にしてるんだよ。」

これを聞いた時に、真っ先に思い浮かんだのはエチオピアのみなさんとの対比でした。非常に気さくに声をかけて、歓迎の気持ちを行動で表現してくれたエチオピアの人々に対して、この国はその反対!自分からしゃべりかけないことで相手への尊敬の気持ちを表しているというのです。これは面白い違いでした。

これだけ聞くと、エリトリアの人々はどれだけ静かなの??と思うかもしれませんが、決して私を無視するわけではありません。目と目で「どうも!」と合図を出したり、サッと手を振りながら笑顔を見せてくれたりします。私の方から「サラーム(こんにちは)」と挨拶(あいさつ)をすれば、みなさん気持ちのいい返事を返してくれます。

そしてとにかく親切!昨日のSIMカードゲットのために動き回った際には何人もの人に話しかけましたが、警察官の方も、コーヒーを飲んでるお兄さんも、オシャレなお姉さんも、誰もがとっても快く私の話を聞いて助けようとしてくれました。今日も朝から何人の人に親切にしてもらったことか。エリトリアのみなさんのやさしい気づかいがあるからこそ、ネット無しでも全く問題なく旅ができているんだろうなと思います。

主張しすぎない気質は面白いところにも表れます。今日は初めてバスで移動をしたのですが、ここアスマラのバス乗り場ではアフリカでよくある”強引な客引き”が全くありません。逆に、あまりに何も無さすぎて「どこの誰に声をかければ目的のバスに乗れるの!?」と困るくらいでした。最終的には目的地の名前を連呼する男性を発見して無事に乗ることができましたが、それも「あっちの方だよ!」と親切に教えてくれる人たちがいたおかげです。感謝!

ただ、モノ売りだけはしっかり仕事をします。ここは主張していかないといけないところですからね。街中で、バスの外から、そしてバスの中で!当たって砕(くだ)けろ精神で商売をするのは大人よりも子どもの方が多いです。全く物怖じ(ものおじ)せずに商品を売りに来てはその度に断られ、それでも負けじと頑張る姿には心動かされるものがあります。

が、主張はそこまで!モノ売りの子たちに「写真を撮らせて!」というとすかさずノー!と恥ずかしそうに言われてしまいます。商品を買っても、ここだけはノー!なんです。その根が控え(ひかえ)めなところがもしかしたら日本の気質と近いところがあるのかもしれません。だから居心地の良さを感じるのかもです。

ちなみにこちらも全員がノーと言うわけではないです。エリトリアの「クラー」という弦楽器を持っている少年も見かけたので「写真撮ってもいい?」と聞くと二つ返事でOKでした。こちらからアプローチするとすごく気さくに対応してくれるエリトリアの人たちです。

ということで今日はバスに乗ってアスマラから北西に90kmほどの所に位置するケレン(Keren)という町にも日帰りで行ってきました。バスは片道50ナクファ(約350円)。道中は終始乾燥(かんそう)したような茶色が美しい山の中を走っていきます。山肌を削って作られたギリギリのコースを下を見下ろしながら進んでいくスリリングな山道ドライブ!乗り物酔いも覚悟した方がいいものすごいクネクネの道を進むことおよそ2時間半でバスは「ケレン」に到着しました。

ケレン

ケレンとは、エリトリア第二の都市。アンセバ地方の行政府所在地で、ビレン人の居住地域である。(中略)ケレンはアスマラから延びるエリトリア鉄道によって発展してきた。現在はエリトリア鉄道のケレン方面への路線は廃止されている。この路線には再建の計画もある。また、第二次世界大戦エリトリア独立戦争での戦場となっており、第二次世界大戦におけるケレンの戦いはよく知られている。(略)【Wikipediaより】

異なる宗教が共存する国ということで、アスマラでも教会やモスクなどが非常に近い距離にあるという面白い国であるエリトリア。このケレンの町でもこれまた立派な教会やモスクが見られました。

市場はこじんまりとしていますが、地元の人たちの楽しそうな姿がありました。

少し小高い丘に登るとケレンの町を一望することができます。キレイな丘からの景色は今日のブログのトップ写真に使用しました。

戦争の歴史

そしてWikipediaの説明にもあったように戦争の歴史と共にある町ケレン。

一緒のバスに乗った男性がエリトリアのことについていろいろと教えてくれたのですが、やはりこの国にとってエチオピアとの独立戦争の歴史は非常に大きいもののようです。ケレンの町に描かれている当時の様子を表す壁画。

アスマラとケレンの間の道には戦車の残骸(ざんがい)が今も残っていました。今日訪れたケレンの町から北へさらに進むと「ナクファ(Nakfa)」という町に着きます。この町はエリトリア独立戦争の際に激戦地(げきせんち)となった場所でした。そして、もうお気付きの方もいるかと思いますが、この地の名は、現在エリトリアで使用されている通貨の名前となっているのです。壁画、通貨の名前、そして今も片付けることなくこの地で確かに戦争が起きたという事実を後世に残す戦車の残骸(ざんがい)。エリトリアの人々の”歴史を決して忘れない”という意思を強く感じるのでした。

今日は日帰りでまた首都アスマラへ戻ることにしました。窓の外に広がる夕暮れ時の風景を眺めながらの移動。相変わらずものすごく揺れますが、その揺れを忘れるくらいにエリトリアの不思議な魅力にドップリとハマった1日でした。

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