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DAY71 エリトリアを旅する①「エリトリアの首都 アスマラ」と「戦争の歴史を語り継ぐ町 ケレン」

2019年7月23日、天気晴れ。

エリトリアに来てまだ2日目です。来る前はいったいどんな国なんだ!?と全く予想できなかったこの国ですが、たった2日しかいないのにも関わらず驚くくらいに居心地(いごこち)の良さを感じています。ですが、それに相反してこの国で起きることは今までに経験したことのないことの連続!いったい何なんだ!?自分でもよくわからない不思議な国、エリトリアです。今日は首都アスマラの様子をお伝えしながら、この国の不思議さの理由を書いていきたいと思います。

エリトリアの首都 アスマラ Part2

アスマラティグリニャ語: ኣስመራ Asmera英語: Asmara)は、エリトリア首都である。標高約2300m高地に位置する。主な生産品は織物衣類ビールである。アスマラにはアスマラ国際空港があり、エリトリア第二の都市マッサワとはエリトリア鉄道で結ばれている。モダニズム建築のならぶ街並みが2017年に世界遺産リストに登録された。【Wikipediaより】

アフリカ大陸の中でも数少ないイタリアの植民地だったエリトリア。街全体が世界遺産!しかもそれが首都!!という非常に珍しい街がアスマラです。白地図だとわかりづらかったので今回は海を水色で塗ってみました。エリトリアは面積117,600kmと日本の三分の一ほどの大きさの小さな国になります。

色づかいはどこかチュニジアやモロッコなどのアラビア諸国を感じさせるものがあるのですが、その建築は明らかに北アフリカの文化とは異なるものがあります。西洋の文化が感じられるオシャレな建物たち。

こちらはなんと郵便局になります。その大きさと美しさがインパクト大!これが街の中にドンとあることに違和感を感じない街並みがまた面白いです。

銀行もまぁ立派!昨日、実はこのコマーシャル銀行(Commercial Bank)を目印にSIMカードが買えるお店を探していたんです。「コマーシャル銀行の近くにある!」と言われたので、銀行付近をとにかく歩いてみたわけですが、なんとその銀行そのものが5つぐらいあるというオチでした。どの支店だよ!?と。そしてどの支店もまぁ立派。

通りを歩くだけでもその建物の並びの美しさに目がひかれます。そしてアスマラのタクシーの黄色がまぁ映えるんです。この色づかいもおそらくねらってのイエローチョイスだろうなと。

そして、街を歩けばイタリア植民地ならではの文化が感じられるアスマラ。まずは食文化。とにかくいたるところにオシャレでレトロな雰囲気のカフェがあるアスマラです。そしてショーケースに並ぶ美味しそうな食べ物たち。カフェではイタリアの伊達(だて)男ならぬエリトリアの伊達男たちが、朝でも夜でもコーヒーや紅茶と甘いケーキなどをセットで楽しむ姿が見られます。

ということで私も今朝はエリトリアのカフェデビュー!コーヒーとドーナツをいただきましたが、これが最高の朝を演出してくれます。甘さ控え目なので、私にもピッタリでした。よし、これで伊達男に一歩近づいたな!

とはなりません。続いて感じるのはオシャレ文化。私の基本的な旅のファッションスタイルは黒Tシャツ&短パンなんですが、これがまぁエリトリアでは浮くわ浮くわ。一度タクシーに乗ったら「おい!短パンかよ!?寒いだろ!」とドライバーさんにつっこまれました。まぁ、確かに寒いんですがね。エチオピアもそうでしたが、髪型から服装(ふくそう)、そして靴を磨くなどオシャレへの意識が高いアフリカの人びと。その中でもエリトリアはさらなるワンランク上の伊達男を目指す国。

通りにはステキなセットアップのスーツが並ぶお店やシューズ専門店がこれまたたくさんあります。ちなみに、スーツを仕立てるテーラーさんのお店も発見しました。私も短パンを卒業して伊達男で旅をしたい!とも思うんですが、機動力重視ということでオシャレは今しばらく我慢。まぁ、本当のオシャレは内なる心だと言い聞かせて、自分磨きに精進したいと思います。

建築、食、衣服と様々なところで感じられるイタリア植民地時代の面影。そして、昨日も書きましたが現在の隣国エチオピアとの独立を争った時代や、その前にはイギリスによる統治も経験しているなど、非常に複雑な歴史をもつエリトリアです。その歴史が影響しているのかエチオピアと大きく異なるエリトリアの人びとの気質があります。初日に乗ったタクシーの運転手はこう語っていました。

「エリトリアの人びとはしゃべりすぎないし、主張しずぎないんだ。人の邪魔(じゃま)はしないように気をつけてる。相手のことをリスペクトする気持ちを大事にしてるんだよ。」

これを聞いた時に、真っ先に思い浮かんだのはエチオピアの人びととの対比でした。非常に気さくに声をかけて、歓迎の気持ちを行動で表現してくれたエチオピアの人たちに対して、この国はその反対!自分からしゃべりかけないことで相手への尊敬の気持ちを表しているんです。これは面白い違いでした。

これだけ聞くと、エリトリアの人びとはどれだけ静かなの??と思うかもしれませんが、決して私を無視するわけではありません。目と目で「どうも!」と合図を出したり、さっと手を振りながら笑顔を見せてくれたりします。私の方から「サラーム(こんにちは)」と挨拶(あいさつ)をすると、気持ちのいい返事を返してくれる人びとです。

そしてとにかく親切!昨日のSIMカードゲットのために動き回った際には何人もの人に話しかけましたが、警察官も、コーヒーを飲んでるお兄さんも、オシャレなお姉さんも、だれもがとっても快く私の話を聞いて助けようとしてくれました。今日も朝から何人の人に親切にしてもらったことか。エリトリアの人びとのやさしい気づかいがあるからこそ、ネット無しでも全く問題なく旅ができているんだろうなと思います。

主張しすぎない気質は面白いところにも表れます。今日は初めてバスで移動をしたのですが、エリトリアではアフリカでよくある強引な客引きが全くありません。逆に、あまりに何も無さすぎてどこの誰(だれ)に声をかければ目的のバスに乗れるの!?と困るくらいでした。最終的には目的地の名前を連呼する男性を発見して、無事に乗ることができましたが、それも「あっちの方だよ!」と親切に教えてくれる人たちがいたおかげです。温かいわ。

ただ、モノ売りだけはしっかり仕事をします。ここは主張していかないといけないところですからね。街中で、バスの外から、そしてバスの中で!当たって砕(くだ)けろ精神で商売をするのは大人よりも子どもの方が多いです。全く物怖じ(ものおじ)せずに商品を売りに来てはその度に断られ、それでも負けじと頑張る姿には心動かされるものがあります。

が、主張はそこまで!モノ売りの子たちに「写真を撮らせて!」というとすかさずノー!と恥ずかしそうに言われてしまいます。商品を買っても、ここだけはノー!なんです。その根が控え(ひかえ)めなところがもしかしたら日本の気質と近いところがあるのかもしれません。だから居心地の良さを感じるのかもです。

ちなみにこちらも全員がノーと言うわけではないです。エリトリアの「クラー」という弦楽器を持っている少年も見かけたので、写真撮ってもいい?と聞くと二つ返事でOKでした。こちらからアプローチするとすごく気さくに対応してくれるエリトリアの人たちです。

さぁ、ということで今日はバスに乗ってアスマラから北西に90kmほどの所に位置するケレン(Keren)という町を訪ねてきました。バスは片道50ナクファ(約350円)です。道中は終始乾燥(かんそう)したような茶色が美しい山の中を走っていきます。山肌を削って作られたギリギリのコースを下を見下ろしながら進んでいくスリリングな山道!乗り物酔いも覚悟した方がいいこれまたクネクネの道になります。相変わらず全く平気なんだよなぁーと、がっつり集中してブログを書きながらおよそ2時間半のドライブの末にケレンの町に到着しました。

戦争の歴史を語り継ぐ町 ケレン

ケレンアラビア語:كرن)とは、エリトリア第二の都市。アンセバ地方の行政府所在地で、ビレン人の居住地域である。(中略)ケレンはアスマラから延びるエリトリア鉄道によって発展してきた。現在はエリトリア鉄道のケレン方面への路線は廃止されている。この路線には再建の計画もある。また、第二次世界大戦エリトリア独立戦争での戦場となっており、第二次世界大戦におけるケレンの戦いはよく知られている。(略)【Wikipediaより】

異なる宗教が共存する国ということで、アスマラでも教会やモスクなどが非常に近い距離にあるという面白い国であるエリトリア。このケレンの町でもこれまた立派な教会やモスクが見られました。

こじんまりとした市場でしたが、地元の人たちの楽しそうな姿が見られました。

そして少し小高い丘に登るとケレンの町を一望することができます。キレイな丘からの景色は今日のブログのトップ写真に使用しました。

ということで、戦争の歴史と共にある町ケレン。有名な墓地もあるとのことでしたが、今回はここまで。今日は日帰りでまた首都アスマラへ戻ることにしました。帰りは夕暮れ時の風景が窓の外に広がるのでこれまた楽しいドライブになります。

一緒のバスに乗った男性がエリトリアのことについていろいろと教えてくれたのですが、やはりこの国にとってエチオピアとの独立戦争の歴史は非常に大きいもののようです。ケレンの町にも描かれていた当時の様子を表す壁画。

そしてアスマラとケレンの間の道には戦車の残骸(ざんがい)が今も残っていました。今日訪れたケレンの町から北へさらに進むと「ナクファ(Nakfa)」という町に着きます。この町はエリトリア独立戦争の際に激戦地(げきせんち)となった場所でした。そして、もうお気付きの方もいるかと思いますが、この地の名は、現在エリトリアで使用されている通貨の名前となっているのです。壁画、通貨の名前、そして今も片付けることなくこの地で確かに戦争が起きたという事実を後世に残す戦車の残骸。エリトリアの人々の歴史を決して忘れないという意思を強く感じるのでした。

参照:Wikipedia「エリトリア独立戦争」http://ja.m.wikipedia.org/wiki/エリトリア独立戦争

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ABOUTこの記事をかいた人

1986年生まれの32歳。神奈川県横浜市出身。 2009年小学校の先生としての生活がスタート。 2015年から約2年間、青年海外協力隊としてナミビアへ。 2019年3月、先生として成長するために先生を辞める。 2019年4月からアフリカ54ヶ国訪問の旅をスタート。