2023年11月25日、天気晴れ。
ベナンを旅する
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昨夜は久しぶりにあの戦いが待っていました。
海沿いに多い蚊(か)のみなさんの登場です。
もう既に夕飯の時点で激しいバトルをしていまして。
なんかチクチクするなぁと思った時にはもう遅く、そこからジワーッと痒(かゆ)みが広がっていきます。
そして蚊だと思っていたものが実はすごーく小さい黒い点のような生き物だったということがあとで判明。
どうやらヌカカと呼ばれる刺す虫のようです。
ということで痒みで眠れない夜を過ごして迎えた本日。
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朝食を食べに広間へ行くと明るい日差しが外から入り込んでいて眠気がサッと吹き飛びます。
「晴れた〜!!」
くもり続きの雨季の西アフリカを経験すると、一日の始まりに太陽の光を浴びることのできる幸せを強く感じます。
本日はコトヌーから東に40kmほどの所に位置する町
「ウィダー」
からスタートします。
⑤ウィダー
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ウィダーは、ベナンのアトランティック県の都市・コミューン。
ベニン湾に面する昔からの貿易港である。
人口は47,616人(2013年国勢調査)。
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とても小さな町ですが、その入口には立派なモニュメントがあります。
そこには
『歴史都市ウィダー』
の文字が!
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最大都市コトヌーとは打って変わって静かで穏やかな空気が漂うこの町。
歴史スポットと書かれていた通り、歩いていると年季を感じる古い建物を見つけることができます。
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ベナンの歴史に触れることができる観光地として国も推しているウィダー。
しかし、まだまだ受け入れ態勢が整っていないのが現状です。
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町の中心にある歴史博物館を兼ねたポルトガル時代の要塞は改修工事をしているため中には入れず。
ちなみに、訪問から半年以上経った2024年6月時点でもまだ開館していません。
が、観光にチカラを入れたいからこそのこのリニューアル!
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旅行者を受け入れるための宿泊施設も少しずつ増えているようで、今回お世話になったL’Auberge Fleurieも今年オープンしたばかりのホテルです。
オーナーさんはとっても親切な方で、この町のことや歴史についてもイロイロ教えてくれました。
1階には開放的なレストランがあり、とっても居心地が良いこのホテル。
ただし、先ほども述べたように小さな刺す虫が飛んでるので対策は忘れずに!
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そんなホテルの目の前に伸びる一本の道。
この道をずっと行った所に今日の目的地があります。
ベナンを知る上で必ず見ておきたい場所です。
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「Rte des Esclaves」
(奴隷の道)
と名付けられた真っ直ぐ続く長さ3kmほどのこの道。
17世紀にベナンの地に誕生したダホメ王国は奴隷貿易によって繁栄しました。
捕まえた人々をヨーロッパ列強に商品として売り、引き換えに手に入れた武器で国力を強化したのです。
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そして大規模農園を運営するための労働力として新大陸へと運ばれた奴隷として売り飛ばされた人々。
彼らはこの道を歩いて海岸沿いへと向かいました。
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一列に並んだ人々が首にロープを巻かれた状態で歩く当時の様子を描いた絵は何度見てもショックを受けます。
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この道のりを一体どんな感情で歩いていたのか。
その思いを計り知ることは決してできませんが、少しでも何かを感じられるかと思いながら歩くこと30分。
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突き当たりに待っていたのは西アフリカ南部に横に伸びるギニア湾。
辿り着いた人々はこの場所に停泊していた巨大な船に詰め込まれ、新大陸へと運ばれていったのです。
ヨーロッパの国々はこのトーゴを中心に広がる海岸に
「奴隷海岸」
という名前を付けました。
奴隷海岸
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奴隷海岸は今日のトーゴ、ベナン、およびナイジェリア西部の海岸地帯のヨーロッパ勢による呼称。
ベニン湾に沿った西アフリカの大西洋岸である。
16世紀初頭のポルトガルの到来から19世紀初頭の奴隷貿易の公式廃止まで、大西洋岸の全域から多くの黒人奴隷が大西洋奴隷貿易で売られ、西欧や新世界(南北アメリカ大陸)へ運ばれる奴隷船に乗せられた。
他の黄金海岸・象牙海岸・胡椒海岸と並び、「主要産品」にちなんで「奴隷海岸」と呼ばれた。
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奴隷貿易はガーナをはじめとした西アフリカ一帯で行われていたわけですが、その中でもとりわけ盛んだったのがこのエリアになります。
奴隷として売られた人の数は1000万から2000万といわれており、正直現在の感覚からするとやっていることもその規模も理解不能です。
そんな時代があったんだなと思ってみても、どこかフィクションの映画やドラマの話のように感じられます。
しかし、実際に起きた出来事なんですよね。
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奴隷貿易廃止からおよそ200年。
今日の海岸には太陽の光がやさしく降り注ぎます。
穏やかに打ち寄せる波を見ているとなんとも言えない不思議な感覚に。
帰らずの門
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この場所には歴史を語り継ぐ要塞のような史跡はありません。
その代わりにモニュメントが建造されました。
海の正面に構えられたこちらの立派なゲート。
『Point of No Return』
日本語では「帰らずの門」などと訳されることが多いです。
新大陸への船は片道切符。
奴隷の人々はアフリカの地へ帰ってくることはできません。
そんな二度と戻ることのできない終着地点に建てられたこの門。
この門をくぐって・・・と想像したかもしれませんが、当時はこんなものはありませんでした。
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こちらは1995年に造られた、奴隷の歴史があったことを人々に伝えるためのモニュメントになります。
なので歴史的価値はほとんどありません。
が、見応え十分なオブジェとして現在はベナンを象徴する観光スポットの一つに!
私も今日はコレを見に来たんです。
が、わかりますかね。
門周辺にはヘルメットをかぶった作業員らしき人の姿が。
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はい、ウィダーの町と同様、いやそれ以上に開発が進められている海岸エリア。
なんと只今絶賛全面工事中になります!
帰らずの門は修理中で、正面はこの通り。
お金(賄賂)を払えば中に入れてやると言われましたが、海岸沿いから遠くにその後ろ姿が見えて満足したので丁寧にお断りさせていただきました。
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そしてコレはほんの一部に過ぎなくて。
静かな波打ち際のすぐ隣で大きな音を立てて行われている大規模な工事。
なんとココに大型の観光複合施設が建設される予定なんです!
莫大な予算を投じた国家の一大プロジェクトで、2020年から始動しているとのこと。
完成がいつになるかは未定ですが、コレができたらウィダー含めてベナンの観光業がとんでもないことになりそうな予感はします。
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忘れてはいけない人類の負の歴史。
こういう場所に来るとどうしても悲観的になりがちな自分がいますが、それだけではいけないのかもしれません。
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過去を知った上で、前を向いて未来に向かって歩いていく。
悲しい歴史を背負いつつも、ソレを国を動かすチカラに換えようとするベナンの姿勢にまたイロイロ考えさせられました。
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ちなみに周辺には帰らずの門以外にも奴隷貿易時代の建造物やモニュメントがあります。
観光ガイドさんにお願いすれば案内してもらうこともできるそうです。
結構ローカルエリアの中を進んで行くので、安心して回りたい場合は依頼するのもありかもしれません。
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数年後にはものすごい注目されるスポットになるであろうベナンの歴史に触れることのできるウィダー周辺地区。
今はまだなりを潜めている感じですが、今後どのような変化を遂げていくのか楽しみです。
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ということで、行きは歩いた『奴隷の道』をバイクに乗って戻りまして。
こうして元いた場所に帰ってこられることにも自ずと有難みを感じるウィダー散策でした。
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ホテルで軽く涼んだところでチェックアウト。
オーナーさんたちに別れを告げて、やって来たのはウィダーのタクシー乗り場です。
時刻はまだお昼の12時前。
今日はこれからベナンの旅の最終目的地へと向かいます。
タクシーは待ち時間10分ほどで満席になり、幸先の良いスタートです。
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そして気が付くといつの間にかコトヌー市内に入っているからビックリ!
ウィダーを出発してからまだ30分しか経っていません。
こりゃ順調すぎるぞ~と思っていたわけですが、アフリカの移動で注意が必要なのは市内に入ってからです。
待ち構えていた大渋滞に捕まったタクシー。
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そこから10km先のゴールに到着するまでに1時間以上もかかりました。
まぁ、別に急いでいるわけではないのでOK!
ちなみに、コトヌー⇄ウィダーの運賃は2000セーファーフラン程度。
最後は1時間以上かかりましたが、それでも十分日帰りで行き来できる区間です。
ベナンの旅を計画される際はコトヌーを起点に移動するのが◎
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ドライバーさんに連れてきてもらったのはコトヌーのタクシー乗り場。
ただ、ウィダー行きの乗り場とは違い、西アフリカ最大の市場であるドントクパマーケット近くにあるガヤガヤした感じの場所です。
ちょっと警戒しておいた方が良さそうなこの乗り場からはコトヌーの東方面へ向かう乗合タクシーが出ています。
次の行き先であるお隣の国ナイジェリアに行くタクシー乗り場もココです。
ただ、私が乗ったのはナイジェリア行きではありません。
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ベナンの旅のラストに選んだのはここから東へ伸びる主要道路を途中で曲がった先にあるこの国の首都
「ポルトノボ」
最後に首都を見ておこう!と思い期待いっぱいで車に乗り込みいざ出発!
そしてこの決断がこのあとのとんでもない展開へとつながるのですが、その話はまた今度にしたいと思います。
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念のためにもう一度。
ベナン南部を旅する際はコトヌー起点の日帰り移動を強くオススメします!
DAY382へ続く
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