2023年11月22日、天気晴れ。
ベナンを旅する
長距離移動の際に到着時間が日没後になった場合はとにかく早めにホテルへ向かいます。
暗い中を大きな荷物を背負ってフラフラしているアジア人は非常に目立ちますからね。
ただ、やって来たボヒコンという街の宿をBooking.comで検索してもあまり良さげな所が出てこず。
なのでGoogle Mapsで調べておいた感じの良さそうなホテルへバイクのお兄さんに連れていってもらいます。
宿選びをできる時間帯でもないので、行った先のホテルに必然的に泊まらざるを得なくなるので試されるのは己の運です。
値段が高すぎたり、部屋が残念だったら萎(な)えるなぁと思いつつやって来たAmazone Hôtel。
今回は運が味方してくれました。
一泊10000セーファーフラン(約2500円)で泊まれる広々としたお部屋。
お湯が出るシャワーにWi-Fiも問題無く使えるのでもう申し分なしです。
さらにチェックアウトが13時というのが大きいポイント!
ということでやって来たのは主要都市を結ぶ道路の分岐点に位置するボヒコン。
地元の皆さんの発音だと
「ベーコン」
と聞こえるので、なんだか美味しそうな名前の街です。
ただ、この街自体は特別見所があるわけではありません。
目指していたのはボヒコンから西に10kmほど進んだ所に位置する
「アボメイ」
という都市です。
②アボメイ
アボメイはベナンの北中部のズー県の県都。
2012年の人口は9万195人。
かつてのダオメ王国時代には首都であった。
チェックアウトが13時なので大きな荷物をボヒコンのホテルにおいたまま観光に行けるのが有り難いポイント。
早速朝早くから行動開始です。
外に出ればすぐにバイクタクシーのお兄さんから声がかかるので移動手段に困ることはありません。
アボメイに行きたいと伝えてバイクに乗車します。
朝のボヒコンの景色を眺めながら、風を切って進むことわずか10分。
到着したのはアボメイの入り口にあるPalace GOHOという大きな広場です。
中心には大きな銅像が立っています。
西アフリカのエリアにはかつていくつもの王国が繁栄しました。
その多くは黄金で栄えた国で、アシャンティ王国やマリ王国などが有名です。
対して、ここベナンに誕生した王国は少し毛色が異なります。
ダホメ王国
ダホメ王国は、現在のアフリカ・ベナンにあったアフリカ人の王国である。
ダホメ王国は17世紀に創建され、19世紀にフランスの軍隊がセネガルから来て王国を征服しフランス領西アフリカに組み入れるまで存続した。
西アフリカの歴史においては、奴隷狩りと専制軍事国家として特異な位置を占めている。
大航海時代の終わりと共にやってくる奴隷貿易の時代。
ヨーロッパ各国は労働力を求めてアフリカ大陸に進出し、現地の人々を捕まえると彼らを新大陸アメリカへと送りました。
我々人類が覚えておかないといけない負の歴史です。
そしてこの『三角貿易』といわれる外交を想像する時
「ヨーロッパが悪い」
と考えるかと思います。
もちろんその通りで、今日のヨーロッパ諸国やアメリカがあるのは犠牲になった多くのアフリカの人々の命があったからです。
しかし、この奴隷貿易によって栄えたアフリカ側の国も実はありました。
その一つがダホメ王国になります。
アフリカ内で自分たちの領土を広げるためにチカラが必要だったダホメ王国。
この時代のチカラとはつまり武器です。
ヨーロッパで製造されるライフルなどを手に入れればアフリカの地で覇権(はけん)を握ることができます。
そしてその武器を入手するために代わりのモノとして差し出したのが現地で捉えた人々でした。
ダホメ王国は奴隷貿易を主な収入源として発展していったのです。
なかなか複雑な思いになりますが、これもベナンが辿ってきた歴史になります。
過去があるから今がある。
広場にあった銅像はダホメ王国11代目の王ベハンジン。
1890年に始まったフランスとの二度の戦争でベハンジンは植民地化に抵抗して戦いました。
ただ、その際フランス軍兵士として戦いに参加した大多数は売り飛ばされたアフリカの人々だったそうで。
その事実を知るとなんとも言えない複雑な感情になります。
ダホメ王国は1900年、12代目の王が追放されたことで滅亡しました。
そのダホメ王国の首都だったアボメイ。
足を踏み入れるとボヒコンとは明らかに異なる雰囲気を感じます。
緑が多く避暑地にでも来たような印象です。
少し歩くといよいよ目的のエリアに到着。
この地に残るかつての王国跡は世界遺産に登録されています。
世界遺産「アボメイの王宮群」
アボメイの王宮群は、ベナンにあるユネスコ世界遺産リスト登録物件である。
ベナン初の世界遺産であり、2017年にW・アルリ・パンジャリ自然公園群が誕生するまで、ベナン唯一の世界遺産でもあった。
ダホメ王国時代には首都であったアボメイに、歴代12人の王たちが築き上げた12の王宮は、奴隷貿易などを一手に握り、中央集権的な権勢を誇った王たちの治世を偲ばせる歴史的遺構である。
この王宮群は、フォン人たちによって築かれた土製の建築物群であり、1985年に世界遺産に登録された。
全体が現存しているのは2つの王宮のみである。
12の王宮が点在しているアボメイの中心地。
しっかり案内表示があるので誰の王宮だったかがわかります。
こちらはダホメ王国最後の王、12代目アゴリアグボ王の王宮です。
赤土でできた見事な壁で囲まれている王宮。
入り口の柱には動物が描かれています。
『動物の犠牲を伴う王の崇拝儀礼』なるものがあるそうで、アボメイを歩いているといたるところで見つける動物のシンボル。
(写真は10代目グレレ王の王宮)
実はダホメ王国を私が初めて知ったのは国旗が先でした。
見てください。
ウソでしょ!?と思うかもしれませんが、これがダホメ王国の正式な国旗です。
真ん中にゾウが描かれているのは動物を重んじる精神からなのかもしれません。
そして歴代の王それぞれにも動物などのモチーフがそれぞれあるんです。
これがまたとってもユニークで、決して威厳があるとは言えないゆるふわなデザインになっています。
こちらは博物館の向かいにあるマーケットで売られているお土産。
思わず手に取りたくなりましたが大きいので断念しました。
その代わりに手織りの布で作られた肩掛けバッグをゲット!
見たことのない色遣いと柄に一瞬で心が惹(ひ)かれました。
アフリカ布にもいろんな種類がありますが、王都があった地域の伝統的な布というのは非常に特別感があります。
さぁ、肝心(かんじん)の中はどうなっているのかが気になるところですが、どうやら今日は博物館が開いていないとのことで。
確かにだーれもいないんです。
そういえば以前もガーナの旧王都クマシの博物館に行こうとしたら改修中で入れなかったことを思い出し・・・
私は王国との縁がないのかもしれません。
ということでその後もグルッと周辺を散策してアボメイ観光はこれにて終了。
街中には動物の他にも奴隷貿易の歴史を描いた残酷(ざんこく)な絵などもあり、そのタッチがこれまた独特で本当にココにだけ不思議な空間が広がるアボメイでした。
それではバイクに乗ってボヒコンへ戻ります。
ちなみにここで面白い発見が一つ。
バイクタクシーはユニホームを着るのが決まりのベナン。
行きは紫と黄色のシャツを着たお兄さんでしたが、帰りはオレンジ。
なんと街ごとに色が決められているんです。
そういえば北部ジューグーの街は黄色に緑の組み合わせでした。
タクシーの色が街ごとに異なる国というのはアフリカでもたまにありますが、バイクタクシーのユニホームで区別するというのはベナンが初めて!
たった10kmしか離れていないのに違う色ボヒコンとアボメイ。
そこにはかつて王国があった場所というアボメイのプライドが表れているような気がします。
ボヒコン⇄アボメイは行きも帰りも1000セーファーフランで交渉成立。
おそらく高いですが、日本円で250円ほどなので快く支払いました。
最大都市コトヌーへ
ホテルに戻りチェックアウトを済ませたら、荷物を持って再びバイクを捕まえます。
西アフリカの旅では本当にお世話になりっぱなしのバイクタクシー。
向かうのはこの旅で初の乗り合いのタクシー乗り場です。
場所が分からなかったのでホテルのスタッフさんに助けを求めるとバイクの運転手に行き先を伝えて値段交渉までしてくれました。
200セーファーフランでOKとのことで、やはり1000は高かったということをここで実感。
これからの参考にすれば全ては良い学びです。
「そうそう待ってましたこの感じ!」
という乗り合いタクシー乗り場ならでは客引きの歓迎を受けまして、ベナン南部のコトヌーという街へ行く車に乗車。
お昼過ぎでも無事に車がゲットできたのでホッと一安心です。
いつも通り満席になるまで待機ですが、30分も待たない内に出発!
今日は移動の運もついていました。
久しぶりの3人席に4人座りが嬉しいような苦しいような。
体にガタはきますが、これもまたアフリカ旅ならではのアトラクションと言い聞かせれば楽しめるものです。
(ボヒコン→コトヌーは3000サーファーフラン)
長閑(のどか)な車窓からの景色を眺めていると時間はあっという間に過ぎていきます。
ボヒコンを出発してから2時間半。
やって来たのはベナンの最大都市コトヌーです。
かなり大きな街の様子に興奮しつつも、また人が多い都市部に来たぞ〜ということでちょっと緊張感はあります。
が、乗り合いタクシーのおかげで旅のリズムもだいぶ取り戻せたのできっと大丈夫。
安全第一で楽しんでいきたいと思います!!
DAY379へ続く
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