ケニアを旅する③ 歴史都市「モンバサ」〜象牙のモニュメントと世界遺産『ジーザス要塞』〜

2023年12月6日、天気晴れ。

ケニアを旅する

入国直後からノンストップで休む間もなく動き続きているケニアの旅。
この観光大国に飛行機の関係で入国日を含めて6日しか滞在できないので、とにかくやりたいことを全部やる気で動いています。
が、だったら事前にしっかり計画をしておくべきだったと反省。
その場の流れに身を任せる行き当たりばったりな旅が基本的には好きですが、ケニアではそれはなかなかうまくいきません。
特に移動手段の確保やツアーへの参加には事前予約が必須です!
観光客も多く訪れる国なので、満席や定員オーバーなんてことが当たり前にありまして・・・はい、正にそのような事態に直面してしまいました。

国内移動手段

昨夜、ケニア西部から帰ってきたところでようやく明日(本日)のプランを考え始めます。
目的地はケニア東部の都市

「モンバサ」

これだけは決めていたのですが、それ以外は全く準備していなくて。
ただ、移動手段の情報だけはしっかりゲットしていました。
なんとナイロビからモンバサに行く鉄道があるというのです!
これは是非とも乗ってみたいと思い調べてみるとチケット予約がオンラインでできることが判明。
なのですぐにサイトにアクセスして予約を試みたのですが、ここで2つの壁が立ち塞がりました。
一つは明日の列車が既に満席であること。
まさかの3日後まで全て席が埋まっているという状況です。
さらにもう一つ、支払いが現地の電子マネーでしかできないシステムになっていて。
結局ナイロビからの鉄道旅は叶わぬ夢となりました。
※ナイロビ⇄モンバサの鉄道に関する情報は後日詳しく書きます。

となるともう残された手段は限られています。
パッと思い浮かぶのは高速バス。
何社も運行しているのでどのバス会社も満席で乗れないという事態はまずないはずです。
運賃も1000円ぐらいからと手頃な値段になっています。
しかし、問題はこれまたネット予約はケニアの電子マネーでしか受け付けていないこと。
こうなると旅行者は直接バス会社に出向いてチケットを買うしかなさそうですが、このオフィスがあるのが大抵の場合ナイロビの危険エリアになります。
それでいて高速バスといってもモンバサまでは10時間ほどかかるらしく、丸一日移動で潰(つぶ)れるのは確実です。
・・・値段とリスク、何より時間を考えると微妙かなぁ〜と。
夜行バスも運行しているので上手く使えば良い移動手段になりますがね。

そこで選んだのがわずか1時間でモンバサに行ける飛行機!!
贅沢(ぜいたく)な移動ですが、これで1万円ならとってもリーズナブルです。
一番心配な支払いもクレジットカードが使えるので助かります。
ということで予約完了時点でフライトまでは12時間。
ドタバタな感じでケニアの旅3日目がスタートです。
※ケニアの電子マネーの支払いについても後日書きたいと思います。

ナイロビから国内線が出ている③ウィルソン空港(Wilson Airport)は先日着陸した国際空港とは違い市内にあります。
ナイロビ滞在でお世話になった宿House JENGAからも10kmほどの所なので朝もそこまで急ぐ必要はない!

と思いますが念のための3時間前行動。
面白いものでそこら辺は慎重派です。
国際空港までは朝の通勤ラッシュにぶつかるととんでもなく時間がかかるなんて情報も目にしたので。
Uberを使えばいつでもすぐに車が呼べるナイロビなので宿をチェックアウトしたらすぐに車に乗り込んで空港へ出発します。

結果は見事30分で到着。
早く着きすぎましたが、これが今回は吉と出ます。
いろんな航空会社のオフィスが並ぶ倉庫街のようなウィルソン空港。
今回利用するSKYWARD EXPRESSはなんとオシャレなカフェを併設していまして、チェックイン後はゆっくりコーヒーを飲むことができるんです!
有料ですがまるでラウンジ気分。

空港というと警察の検問のイメージが強いですが、それも一切ありません。
飛行機を選択して大正解だったなと。
スタッフさんの対応も親切丁寧で、カフェにいても時間になるとちゃんと教えに来てくれるので安心です。

出発の1時間前にバスに乗り込み搭乗ゲートへ行き、そこで荷物検査。
ちなみにカフェのコーヒーは持ち込み可能です。
そのあとまた案内があるまでロビーで待ちます。

小さなプロペラ機ですが乗客はほぼ満員。
昨日の夜にチケットが予約できたのはかなりラッキーだったのかもしれません。
やはりケニア旅では移動手段の手配は早め早めがベストです。

予定より30分ほど遅れてナイロビを出発した飛行機。
ケニア東部の景色を眺めながらの1時間ちょっとのフライトはあっという間です。
途中で晴れていたらキリマンジャロが見えるかなぁ〜と思っていたのですが、残念ながら今日はその姿を確認することはできませんでした。

そして無事に着陸して機内から外に出た瞬間。

「アッチ〜〜〜〜!!」

来ていたダウンジャケットをすぐに脱ぎます。
なんだこれはと思いながらiPhoneで調べると体感気温は30℃とのこと。
先ほどまでいたナイロビの朝方は18℃ぐらいなので全く違うんです。
ギラギラした太陽に漂うムワッとした熱気。
やって来たのはケニア東部の大都市

「モンバサ」

です。

②モンバサ

モンバサは、アフリカ東部、ケニア共和国の海岸州に属するモンバサ・カウンティのモンバサ島と、その周辺に広がる都市である。
2019年時点の人口は約120万人で、ケニア国内で第2位の人口を擁する。
かつてはアラブ人との交易で栄えた地域で、イスラム教徒が多く住む。

Wikipediaより

インド洋に面した港湾都市モンバサ。
空港から移動する車内からは巨大な港を見ることができます。
海沿いで標高が低いため、赤道直下特有の熱帯気候が広がるというわけです。

この街でも健在のUber。
空港タクシーも絶賛活動中ですが、便利な配車アプリを利用してまずはホテルへと向かいます。
モンバサもナイジェリアのラゴスと同様に本土と島で構成された複合的な都市です。
そのため移動の際にはどうしても橋を渡る必要があり、その数が限られているので渋滞は多め。
高いビルは無いものの、ナイロビとは異なる街の盛り上がりを感じながら車は進みます。

さぁ、ホテルに着いたら昨夜の反省を生かしてまずは明日以降のケニアの旅に向けた準備諸々(もろもろ)を。
これがまた大変だったのですがそれはまた明日お話するとして、ようやく事務作業を終えたところでモンバサの街へと繰り出します。

ホテルの方曰く、モンバサは安全だとのこと。
もちろん常に警戒スイッチは入れておきますが、地元の人がそう言えるというのがナイロビとの大きな違いです。
ナイロビでは見かけなかったこの街の主要な移動手段であるトゥクトゥクに乗っていざ中心地へ。

Pembe Za Ndovu

まず見に来たのはモンバサの街中にいきなり現れる謎のアーチのような見た目のモニュメント。
Pembe Za Ndovuはスワヒリ語で「ゾウの牙」という意味です。
はい、そう聞くともう象牙(ぞうげ)にしかみえませんよね!
そしてさらによく見て下さい。
ゾウの牙でできた山が2つ。
有名なハンバーガー店のロゴにもなっているあのアルファベットの形に見えませんか?
はい、こちらモンバサの頭文字のMになります。

1956年に建てられたこの象牙のモニュメント。
現在はモンバサを象徴するランドマークになっています。

まぁ主に写真スポットとして人気で、これをバックに写真を撮る人がアッチにもコッチにも。
周辺には一眼レフを構えたカメラ屋さんもいるので、最高の一枚を撮りたい場合はお願いするのもありです。

このアーチを潜(くぐ)るとそこからがモンバサの商業エリア。
人は多いですが通りが広く、お店の警備の方もたくさんいるので安心して歩くことができます。

その歴史は古く、7〜8世紀にインド洋で行われていた交易の拠点がアラブ人によってこの地に建設されたのがモンバサの始まりです。
実はナイロビができたのはそのだいぶあとの1899年。
それもここモンバサと隣国ウガンダを結ぶ鉄道の中継地点として建設された都市がナイロビでした。
ケニアで最も古い歴史を持ち、東アフリカの中でも最古の港町、それがモンバサです。

海沿いの交易拠点ということでこの地には様々な人々が行き交い、他国が次々と進出してくることになります。
アラブの商人たちから始まり、1500年代にはポルトガル人がやって来て。
1700年代になると今度は東アフリカ一帯に勢力を伸ばしていた巨大なオマーン帝国に飲み込まれます。
そして最後1800年代後半のアフリカ植民地化の流れでイギリスの支配下となったというのが大まかな流れです。

旧市街エリア

年季の入った建物が建ち並ぶモンバサの旧市街(オールドタウン)。
一歩足を踏み入れるとイスラム圏のマーケット特有の香辛料の香りが漂います。
ケニアは人口の80%がキリスト教の国です。
先ほど訪れたウィルソン空港もしっかりクリスマスの飾り付けがされていました。
対して10%ほどのムスリム(イスラム教徒)の人々が主に暮らすのが海岸線沿いのエリアになります。

面白いのは建物の感じが場所場所で少しずつ変わること。
これも時代によってこの地の覇権を握った人々や国が違うことによる影響だと思います。
そして今も様々な人種の人々が住むのがモンバサの旧市街です。

歩いていると「ちょっとココは気をつけた方がいいな」というガッツリ住居エリアに迷い込んでしまうことがあるので、危ないと思ったら引き返して下さい。
まぁ旧市街はそこまで大きくはないので入ったら出て来れないなんてことはないとは思いますが。

このモンバサと同じような歴史を辿ったのが隣国タンザニアのザンジバル。
旧市街の雰囲気も非常によく似ています。
しかし、オマーン帝国時代の本拠地になったのはザンジバル。
王宮を作るほど街づくりにチカラが入れられたわけで、その旧市街ストーンタウンの街並みは世界遺産になっています。

一方モンバサの旧市街はまだ登録されていません。
しかし、だからこそ今も観光客向けではなく地元の人々同士のやり取りによって活気が生まれているのが面白いところ。
ザンジバルのストーンタウンはガッツリ観光地ですからね。
モンバサはリアルな刺激を感じることができます。

ただ、実はモンバサにも世界遺産があるんです。
それはこの地を守るために築かれた要塞になります。

世界遺産「ジーザス要塞」

ジーザス要塞は、ケニア・モンバサにある要塞である。
1593年、スペイン王・フェリペ2世の命令によって建設された。
2011年、UNESCOの世界遺産に登録された。

Wikipediaより

海沿いに行くと突然現れる高い壁があります。
それと同時に旧市街では全く見かけなかった観光客がたくさんいてビックリ!
夕方4時過ぎでも大盛況です。

入場料が強気の1200シリング(約1100円)。
ちょいと怯(ひる)みますが、中を見てみたいので払います。
地元ケニアのみなさんは大人200シリングで入れるのでこの賑(にぎ)わいなのだなと。

ガイドを付けることもできたのですが、いかんせん入場料のインパクトが強すぎたために渋ってしまいまして。
英語で書かれた説明をサラッと読んでフムフム言いながら一人で回ることにしました。

要塞の形は、「神の完全なる創造物である」人間の形を模したものであり、ルネサンスの時代背景がこの要塞に残っている。

Wikipediaより

Google Earthより

たしかに言われてみると人の形になっています。
中にいる分には全くわかりませんが・・・

ポルトガル人によって建設されたジーザス要塞。
施設のほとんどは1953年当初に造られたものになります。

こちらはその後オマーン帝国の支配下に入って新たに造られた建物。
建築様式が違うことがはっきりわかります。

様々な展示品もありますが、その中で一番注目したのがこちら。
本物の象牙です。
ゾウの生息地といえばアフリカ。
その牙は交易の目玉商品で、高価な象牙を売ることでモンバサは栄えることになります。
ゾウのことを考えると悲しい負の歴史ですが、象牙貿易がこの街を作った事実は変わりません。
だから街中に象牙のモニュメントがあるんです!
ちなみにモンバサの街の入り口にはゾウの銅像がたくさん建つ環状交差点もあります。

要塞内から海へと通じる通りがあったり、謎の行き止まりがあったりと探検気分も味わえる敷地内。
ですが、かなりラクガキが目立つのが残念なんです。
さらに世界遺産の中にレストランがあるというのも奇抜で。
まぁこの自由な感じがケニアなのかなと納得したいと思います。

ザッと歩いてモンバサの歴史をなんとなく感じることができたところで夕方6時。
ようやく涼しくなって歩きやすくなる時間帯です。
今朝のナイロビから考えると気温も街並みも全く違い、同じ国にいるとは思えない不思議な気分になります。

場所場所によって本当に違う顔を持つケニア。
この国に多くの観光客がやって来る理由が少しずつわかってきたのでした。

DAY393へ続く

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