リベリアを旅する② 読むだけでざっくりわかるリベリアの歴史 〜アメリカの解放奴隷がつくった『自由の国』の歩んだ道〜

2023年6月2日、天気くもり。

リベリアを旅する

リベリアに入国してからは連日深夜に雨の音が聞こえてきます。
現在雨季真っ只中の西アフリカ。
地元の人にとっては作物を育てるために必要な雨が降る大切な季節です。
が、どんよりした曇り空でスタートする1日というのはなんとも気分が重く。
そしてリベリアに入ってからずっと感じている少なからずの緊張感。
これは初めての感覚でうまく言葉にできないのですが、これまで訪れてきた国とは何か雰囲気が違うんです。

リベリアの歴史

そんな時はまず外に出る!
ありがたいことに安心して過ごすことのできる宿は確保できました。
スタッフさんもすごく親切な方で、さっそくイロイロ助けてもらっていまして。
何かあったら戻って来れる場所があるというのは本当に心強いことです。
なので意を決して街中へ出かけます。
バイクに乗れば自然と気持ちも晴れもので。
さっきまでのモヤモヤも一気に吹き飛びました。
ということで向かうのは首都モンロビアの中心地にあるリベリア国立博物館
まずはこの国の歴史について知ろうと思います。

リベリア建国

物語の始まりは1800年代前半のアメリカ。
『アフリカ』と『アメリカ』が混在してややこしくなりますがご了承下さい。
まだ南北戦争やリンカーンによる奴隷解放宣言が出される前のことになります。
当時のアメリカではアフリカから来た黒人奴隷を大規模なサトウキビ農園を運営するための労働力として使うのが当たり前でした。
しかし、そこに変化が。
1600年頃から100年以上続いてきたこの奴隷制度を批判する動きがついに現れます。
同じ人間であるにも関わらず彼らを奴隷として扱うのは間違っているというムーブメント。
それが少しずつ形になり、奴隷の中に人権を与えられた人たち(解放奴隷)が出始めた頃、彼らをアフリカの地へ帰還させようという計画がスタートします。
黒人解放奴隷を乗せた船がたどり着いたのは西アフリカのシエラレオネ。
その隣にアメリカ解放奴隷のための自由の国『リベリア』が建国されたというわけです。

とここまで聞くととてもハッピーな結末だと思いませんか?
想像を絶する苦しい生活を強いられてきたみなさんが、晴れて自由の身になりアフリカの地へ戻ってくることができたわけです。
しかもそこに新しく自分たちの国がつくられたわけで。
ゆえにこのリベリアというのは他のアフリカ諸国が経験してきた植民地として支配された歴史も持ちません。

「なんて良い国なんだ!」

と思いますよね。
・・・しかし、ここでよーく考えてほしいんです。
家感覚で考えると何もない平な土地に家を建てたという感じですが、家じゃありません。
規模が遥かに大きい『国』です。
自分たちの国をつくったその場所には何もなかったのでしょうか??

奴隷の歴史がもたらした負の連鎖

1847年。
アメリカから帰ってきたら黒人解放奴隷(以降:アメリコライベリアン)たちが『リベリア』の独立を宣言しましたが、当然そこには元々住んでいる人々がいたわけです。
区別するために「先住民族」と呼ばせていただきます。
突然やってきたアメリコライベリアンによって統治されたリベリアにいた16の主要な先住民族たち。
ここでお互いが協力関係になれば良かったのですが、奴隷として苦しんできた歴史をもつアメリコライベリアンたちはそうはせず。
次は私たちの番だということで先住民族を支配する側に回った彼ら。
待っていたのはアメリコライベリアンによる先住民族の差別と圧政でした。

そこからアメリコライベリアン絶対の時代は100年ほど続きましたが、1980年。
先住民族側のクーデターによって当時の大統領が暗殺されたことでその支配に終止符が打たれます。
これで国の統治権が先住民族側に渡り、全て解決・・・とはいかなかった。
アフリカのみなさんの民族意識というのは非常に強く、それは時に度を超えた思考に辿り着いてしまうのです。
16の主要な民族がいるリベリア。
クーデターを起こし1986年にリベリア第21代大統領に就任したサミュエル・ドウが始めたのは自民族による他民族の圧倒的な独裁でした。
奇しくも私が生まれた年になります。
(独裁者であったドウ大統領の肖像画が50リベリアドルのデザインになっているのは非常に興味深い点です)

二度の内戦

ここからは少しサラッと書いていきます。
ドウ大統領の虐殺も厭(いと)わないあまりの強行に対し、反旗を翻(ひるが)した他民族やそのやり方に納得いかない自民族のリーダーたち。
その後ドウ大統領は処刑されるのですが、今度はその乱立したグループ同士の争いが始まり。
他国が介入してもなかなか収まることのない争い。
停戦が発効されたのは1996年のことです。
実に7年間も続いたこの内戦により15万人以上が亡くなりました。

これで終わらないんです。
内戦が終わっても復興がうまくいかないリベリア。
新しい大統領は隣国シエラレオネと癒着関係(ブラッドダイヤモンドもこの引き金に)を築くなどまたもや自己中心的な政策を取り、これに黙っていなかった各グループのリーダーたち。
1999年から武装勢力が徐々に拡大し、2003年にはついに首都モンロビアに進攻。
この首都が戦場と化したんです。
大統領がナイジェリアに逃亡したことで停戦を迎えた二度目の内戦。
ザックリですが以上が

『アメリカの解放奴隷によってつくられた国』

が歩んできた歴史になります。

私自身、このブログを書くにあたり勉強して初めて知ったことがたくさんあります。
解放奴隷がつくった国というと聞こえは良いですが、その裏で淘汰(とうた)され犠牲になっていったものがたくさんあったこと。
そしてアメリカの奴隷制度が作り出した憎しみの連鎖・・・

「どこかで断ち切らないといけない!」

という正義ぶった考えはこの事態を外側から見ているからこそ言えることなんだろうなと思います。
当事者からした到底拭(ぬぐ)い去ることはできない過去です。
内戦が終わり今年でちょうど20年。
決して遥か昔の話ではなく、この内戦を経験した人たちは今も存命です。
家族を亡くした人もたくさんいるはず。
それでも今日こうしてリベリアに平和な日常があるのは、一人一人がそれぞれの過去と戦っているからなのかもなと。
すみません、勝手な想像です。

二度の内戦の結果として未だ経済的には様々な問題を抱えるリベリア。
それでも2005年に誕生したアフリカ史上初の女性大統領エレン・ジョンソン・サーリーフの指揮のもと少しずつ国力は回復傾向に向かいますが、2014年にはエボラウイルスの流行がこの国を襲います。
本当に苦難の連続です。

そして2期12年の任期を務め上げたサーリーフ大統領の跡を継いだ現大統領。
それがスゴイ経歴の持ち主なんです!

第25代リベリア大統領 ジョージ・ウェア

ジョージ・マネー・オポング・ウェアは、リベリア・モンロビア出身の政治家、元サッカー選手。
リベリアの第25代大統領。
サッカー選手として同国代表に14年間にわたって選出され、「リベリアの怪人」と称された。

Wikipediaより

まさにリベリアが内戦下にあった時代にサッカーリベリア代表としてのみでなく、世界を舞台に活躍したジョージ・ウェア(一番右上)。
サッカーに疎(うと)い私でさえ知っているフランスのパリ・サンジェルマンやイタリアのACミランといった超名門チームに所属し、FIFA最優秀選手賞やバロンドールなど数々のタイトルを獲得した伝説のプレーヤーなんです。
そんなジョージ・ウェアは現在この国の大統領!
アフリカにおけるサッカーの持つチカラというものを感じますね。

さぁ、大統領が元サッカー代表ということで博物館をあとにして向かうのはリベリアのサッカー連盟事務所です!
地図で調べて来てみたんですが、メインストリートから細い道を入った先にあるというので半信半疑で行ってみると

案内表現を発見!
こんなところにあるのかぁと思いながら進むとそこにたなびいていたFIFAの旗。
間違いなくココなんですが、まわりは白い外壁に囲まれているので中は見えません。
扉をノックすると警備の方が出てきてくれまして、要件を伝えると中に入れてくれました。

「スゲーーーー!!」

こんな立派な建物がこんなところにという驚きと感動で大興奮。
これは期待できるぞ〜と思いながら、さっそくスタッフさんにリベリアサッカー代表ユニホームがほしいと伝えると

「ココにはないけど取ってくるから待ってて!」

と言われたので、事務所内で待たせていただくことに。
もういくらでも待てます。
だってユニホームが手に入るんですから!!
ちなみに待っている間に他のスタッフさんに館内案内までしていただきもう至れり尽くせりで。
そして1時間後。
バイクに乗って戻って来たスタッフさん。
その手に持っていたのは

サッカーリベリア代表ユニホーーーム!
スタッフさんの着ているやつとお揃いのものすごくクオリティーの高いやつです。
これはマジで嬉しすぎるーー!!
このあと市場などでもユニホーム調査をしましたがコレと同じものは一度も見かけず。
最高の一枚をゲット。
本当に感謝です!!

実は街中でものすごーく残念な出来事もあった本日。
かなり気分が落ちていたのですが、ユニホームのおかげで一気に元気になりました。
何が起きたかは次回くわし〜くお伝えしたいと思います。
そして歴史を知ることで少し変わってきたこの国の見え方。
他のアフリカ諸国とは異なる国の成り立ちが、きっと私の感じていた違和感の正体なんだと思います。
『知る』って本当に大事ですね。
今はリベリアのことがもっともっと知りたくてしかたありません。
明日からはいよいよリベリア国内を移動します!!

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