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ソマリランド(ソマリア)を旅する
2019年8月8日、天気晴れ。(※2023年4月更新)
久しぶりにベッドで眠ることができた昨夜。
ここにたどり着くまでの道のりを思い出すたびに、小さな達成感がフツフツとこみ上げてきます。
「やっとたどり着いた!」
ここソマリランドは今回のアフリカ54ヶ国制覇の旅-第2章-の中で最も渡航に関して心配していた国です。
「いったいどんな国なの?」
「そもそもちゃんと行けるの??」
不安をごまかしながら
「行くぞ!行くぞ!!」
と自分に言い聞かせてきました。
そんな中、自分の意思をかためるためにエチオピアでビザを取得しました。
ソマリランドへの道に一気に光が射した瞬間です。
「行ける!行く!!」
そして今
「ソマリランドにいる!」
この事実をまだ少し不思議な感覚でとらえています。
「ソマリランドにいるんだ!!」
と。
さぁ、今日はまずこの国の成り立ちについて軽く書いていきたいと思います。
『ソマリランド』という言葉を当然のように使っていますが
「そんな国は初めて聞いた!」
という方もいるかと思います。
そう、ここは国際的には
「ソマリア」
として認識されている国になるんです。
ソマリア
ソマリア連邦共和国、通称ソマリアは、東アフリカのアフリカの角と呼ばれる地域を領域とする国家。
Wikipediaより
エチオピア、ケニアおよびジブチと国境を接し、インド洋とアデン湾に面する。
1991年勃発の内戦により国土は分断され、事実上の無政府状態が続いていた。
のちにエチオピアの軍事支援を受けた暫定政権が発足し、現在では正式な政府が成立したが、依然として一部地域を他の国家であると主張する政府が統治している。
現在の国土はソマリア連邦共和国政府が統治する中南部と、91年に独立宣言した旧英領のソマリランド共和国(首都ハルゲイサ、国際的に未承認、東部地域でプントランドと領土紛争)の北部、おもに南部に展開するイスラム急進派アッシャバーブ支配域に大きく3分割されている。
また連邦共和国政府内部も、北東部で1998年7月に自治宣言したプントランド(首都ガローウェ)、中部のガルムドゥグ州、南部の南西ソマリア、最南のジュバランド(軍閥ラスカンボニが母体)といった自治地域を含有しており、統一はされていない。
文字だけだとわかりづらいので白地図を使って説明したいと思います。
これがソマリア全体の国土になります。
国際的にはこれで一つの国として認識されています。
いつものように海を水色で塗りました。
ソマリアはアフリカ大陸の東に突き出るその形から
「アフリカの角」
と呼ばれています。
そして、お隣(となり)の国ジブチとその国土の面積を比べるとその大きさがわかっていただけるかと思います。
面積は638,000㎢と日本のおよそ2倍。
これが
「ソマリア」
と呼ばれる国の全体像です。
3つの自治国に分割された国
しかし、現在この国の中にはそれぞれが独立した一つの国であると主張する3つの国が存在しています。
- ソマリアの首都「モガディシュ」を有するために、ココこそがソマリアであるという南部の
「ソマリア」 - 東部に位置する
「プントランド」 - 内戦の末に1991年に独立宣言をした北部に位置する
「ソマリランド」
非常に複雑な国内事情を抱えているのがソマリアなんです。
エリトリアもかつてはエチオピアの国土だったところから独立をしたわけですが、エリトリアは国際的にその独立を認められています。
「なぜ認められる?なぜ認められない?」
きっとそこにはいろいろな事情があるのだと思います。
そして、このような不安定な国内の情勢が背景となり、日本の外務省はこのソマリアを
『退避してください。渡航は止めてください。』
という危険レベル4の国として指定しています。
『世界一危険な国』
という呼称で呼ばれるのがソマリアという国です。
ソマリア/プントランド
そして私が今回訪れているのは北部の
「ソマリランド」
になります。
3つの国の中でも
『比較的治安が安定している』
という情報をゲットしていたので、ジブチの隣の国ということもあり今回の旅の目的地として選ばせてもらいました。
何も考えずに来たわけではありません。
しっかりと調べた上での決断です。
旅は安全第一ですからね!
間違っても無茶はしてはいけません。
ただ、それでも不安は不安でした。
なので、これまでの旅の途中に実際にソマリアの人々にこの国についてイロイロと聞いてみました。
その中でやはりよくわかったのは、
『南部の「ソマリア」と東部の「プントランド」は文字通り危険』
だということ。
治安は安定しておらず、テロが起こるなど問題がかなりあると複数の方が言っていました。
プントランドには海賊(かいぞく)が存在し、貨物輸送船などが襲われるという被害(ひがい)も出ているそうで。
これはまぎれもない現在の話であり、世界的に非常に大きな問題となっています。
これは本当にレベル4です。
現地の方が言うのだから間違いないです。
ソマリランド
そんな中、北部に位置するソマリランドだけは安全だとのことでした。
誰に聞いても
「セーフ」
という言葉が返ってくるので、これは渡航しても大丈夫だろうという最終判断のもと、先日ジブチから国境を越えてソマリランドに入国したわけです。
国際的には国として認められていないものの、そこにははためく独自の国旗があり、通貨は
「ソマリランド・シリング」
というこれまた独自の紙幣が流通しているソマリランド。
ちなみに、両替レート確認アプリCurrencyには南部ソマリアの『ソマリア・シリング』しか登録されていません。
そしてこれがソマリランドの通貨とはレートが全く違います。
これに私は最初ものすごい混乱させられたのでお知らせします。
(2019年8月現在1USドル=約8000ソマリランドシリング)
大統領がいて、ソマリランドのビザもある。
その姿はもう一つの国です。
が、世界的には国とは認められず。
国であって国でない。
本当に不思議なことが起きているなと感じます。
ちなみに、ソマリア入国にはソマリランドのビザではなく
『ソマリアのビザ』
が必要になります。
が、ソマリアへの入国は本当によく考えてください。
私が言うのもなんですが。
そんなソマリランドの首都
「ハルゲイサ 」
を昨日と今日をかけて歩いてきました。
今日はその町のリアルな様子を書いていきたいと思います。
①ハルゲイサ
ハルゲイサは、ソマリアから事実上の分離再独立を遂げたソマリランド共和国の都市で、同国の首都となっている。
Wikipediaより
イギリス領ソマリランド時代からこの地域の中心都市として機能してきた。
人口は454,365人(2004年)とされるが、80万人から100万人の人口を有するという説もあり、定かではない。
市民の大半はソマリ族のイサック氏族である。
たしかに非常に人が多い印象のハルゲイサ。
中心地はとにかくにぎやかで、細い路地にもビッシリとたくさんのお店が並びます。
正直にいうと歩くのが怖いなと最初は思っていました。
が、本日実際に歩いてみて怖さを感じることは一切ありませんでした。
とにかく声をかけてくれるハルゲイサの人々。
あいさつから始まり、いろいろと質問されることもしばしば。
この国は英語が通じる人が多いので、会話が続くことに楽しささえ感じました。
アフリカでよくあるのは商売のための客引きの声かけですが、ハルゲイサでは本当にただ単純(たんじゅん)に私に興味があるようで
「名前は?」
「どこから来たの?」
「ソマリランドはどう?」
と聞かれます。
そしてみなさん非常に気持ちのいい人ばかりで、最後に私が
「◯◯に行きたいです!」
「コレはどこで買えますか?」
と質問すると親切に教えてくれるんです。
そしてアジア人をまぁ見かけないソマリランド。
2日間歩きましたが、一度もアジア系の方を街で見かけることはありませんでした。
これは他のアフリカ各国の首都と比べると違和感を感じるところ。
こういう事実からもソマリアという国が他のアフリカ諸国とは違う国際状況にあることを考えさせられます。
つまりアジア人というのはソマリランドの人々にとって本当に珍しい存在なんだなと。
質問が多いのもそれが理由かもしれません。
独立記念モニュメント
街の中心にはソマリランドが内戦を経て独立したことを主張するモニュメントがあり、これがソマリランドのシンボルになっています。
1988年はソマリア内戦が始まった年です。
「この戦争を忘れない」
強いメッセージを感じます。
アフリカ54ヶ国制覇の旅-第1章-で訪れた西アフリカ諸国では、フランス植民地からの独立を勝ち取るまでの人々の苦しみの歴史が強く印象に残りました。
一方、今回の旅では
『アフリカの角』
と呼ばれる地域。
ソマリアやエリトリアの内戦という国内紛争(ふんそう)の歴史を知り、それが今なお国際問題として続いているという事実を認識させられました。
日本にもその昔は天下を取るための内戦があったわけです。
学校の歴史の授業では、戦国武将や幕末志士といった存在に注目がいき、戦いの歴史を
「かっこいい」
と認識することも少なくないと思います。
私自身もそうです。
が、そこに血が流れ、苦しい生活を余儀(よぎ)なくされ、死んでいった人々がとんでもない数いることも忘れてはいけないのかなと。
ですが
『過去があったから今がある』
のも事実。
過去を否定することはできません。
だからこそ
「歴史に学ぶ!」
これが一番大事なんだろうなと思います。
安全な観光の仕方① 写真撮影に注意
さぁ、気を取り直して街を歩きます。
ジブチほどではないものの、やはりそれなりに暑いハルゲイサ。
それでも歩きたくなるのはいろんな出会いがあるから!
いろんなモノを発見したり、ステキな景色を見つけたりする度に写真を撮るわけですが、ここで注意です。
ソマリランドは比較的治安が良いからといって、決して他の国と同じようにパシャパシャと写真を撮ってよいというわけではないようです。
以前、モーリタニアの首都ヌアクショットで警察関係の方を写真に収めてしまった際に注意を受けたことがありますが、ハルゲイサは警察等関係なく、基本的に
『写真を撮ることがあまり良しとされていない国』
です。
ちなみに上の写真は車は右ハンドルですが、日本と逆で右を走るということを伝える一枚です。
ハルゲイサでは現地の人と会話していると
「君はジャーナリストか?」
と聞かれることがあります。
これは他の国ではまず聞かれない質問です。
「仕事で来たの?それとも旅行で?」
と聞かれることはありますが
『ジャーナリスト』
という言葉が出てきたのはソマリランドが初めてでした。
つまり、それだけ自国の情報が外へ出ることに対する意識が高いということが言えるかと思います。
写真もその一つのツール。
旅行者が写真を撮っているというのはあまり好まれることではないようです。
ハルゲイサの人々
ということで、迷惑(めいわく)をかけないようまわりに気を配りながら写真を撮らせてもらっています。
写真で自分の見たものを切り取るというのが私のアフリカ旅の楽しみの一つなので。
住宅街を歩いていると近くの家の中から声をかけてくる女性が。
たわいもない会話から始まり、最後は
「写真を撮って!」
とお願いされました。
恥ずかしさもあるようで、ワーキャー言いながら集まってきた家族のみなさん。
こんなこともあるんです。
そのあとも通りを歩いているとサッカー少年たちから写真を撮ってと声がありパシャリ!
すると通りがかった車の運転手さんが一言。
「今撮った写真を消すんだ。」
怒った声ではなく、非常に落ち着いた様子で言われました。
言われたことには従おうと思い、iPhoneを渡して運転手さん自身に消去してもらいました。
子どもたちはとても残念そうな顔をしていましたがね。
ですが、写真データは消去してもゴミ箱の中に残ってるんですよね。
・・・ズルですが、少年たちとの一期一会の思い出なので許してください!!
そんなこんなで高いところを目指してちょっとした丘を登ってきてたどり着いたところからの景色がこちら!
これがハルゲイサの街並みです。
キレイに並ぶ住宅街を見ていると自分の中の
「ソマリランド」
という国に対するイメージがどんどん変わっていく感覚を覚えました。
これが未承認国家
「ソマリランド」
外からでは見えづらい国ですが、中に入ってみるとそのたくさんのヒトモノコトの魅力(みりょく)に気付かされました。
そして私が今したいことは私が歩いて、見て、感じた
「ソマリランド」
を文字に起こして伝えること。
「ソマリランド」
とてもステキな国です!
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