『帰国のための渡航書』の取得と日本帰国までの道のり ~アフリカ54ヶ国制覇の旅-第9章- 完~

『帰国のための渡航書』の取得と日本帰国までの道のり

正式な出国許可が下りない中、パスポートを持たない状態でニジェールを出国した昨日。
飛び立った飛行機の中でようやく一息ついたわけですがそれも束の間。
まさかの機体トラブル発生で空港へ引き返したり、整備点検のために一時間以上機内で待機させられたりとハラハラの展開は続きまして。
当初の予定では19時着だったはずがコートジボワールに到着したのは深夜0時。
最後の最後まで非常にスリリングなニジェールからの脱出劇でした。

やって来たのはアフリカ28ヶ国目として訪れたコートジボワール
これがもし初めて来る国であればこのあとも緊張が溶けることはずっとなかったと思います。
空港に迎えに来てくれた車に乗ってホテルへ向かう途中、窓の外に見えたのはキラキラ輝く最大都市アビジャンの懐かしい景色。
思い出の場所に戻ってこれたという事実に強い安心感を抱きました。
こんなカタチでコートジボワールに二度目の訪問をすることになるとは思ってもいませんでしたがね。

ホテルに着いて、水圧バッチリのお湯シャワーを浴びてスッキリしたら時刻は朝の3時を回っていました。
コートジボワールへ無事に入国できた喜びで興奮して眠れないかとも思いましたが、フカフカのベッドで横になるとあっという間に深い眠りの世界へ。
事件以来初めての熟睡でした。

2023年7月1日〈事件から5日後〉

「全て夢だったのではないか」

今回のアビジャン滞在でお世話になるSeen Hotelの環境が昨日までとあまりに違いすぎて思わず疑ってしまいます。
が、唾(つば)を飲むと未だに感じる強いノドの痛み。
それと同時にあの瞬間のことを思い出し、胸がギューッと掴(つか)まれるような感覚になります。
事件から今日で5日。
気持ちはだいぶ回復しましたが、ココロの傷が癒(い)えるのにはまだ当分時間がかかりそうです。

さぁ、紆余曲折ありましたが日本国大使館があるコートジボワールに来ることができました。
ここまで来ればもう安心です。
そして物語は日本帰国に向けた次の段階がスタート。
日本国大使館での渡航書発行の手続きに進みます。

パスポートを海外で紛失もしくは盗難に遭った場合は2つの選択肢があります。
一つはパスポートの再発行。
新たなパスポートを受け取ることができるので、これをすればそのまま海外旅行を続けることができます。
が、日本でも申請から発給までに1週間ほどかかるように手に入れるまでには多少日数が必要です。
続いてもう一つが

『帰国のための渡航書』

の取得です。
これはパスポート(査証)ではなく、日本に帰国するためだけの目的で与えられる渡航の許可書になります。
原則として申請したその日に発行される臨時的な日本への片道切符。
私が申請するのはコチラです。
本当は残り2ヶ国訪問する計画でしたが、今のメンタルでは旅を楽しむことは到底できないので日本へ帰国します。

では、早速申請するために日本国大使館へ伺(うかが)いたいところ・・・ですが、土曜日の本日は休館。
日曜日も閉まっているので手続きができるのは2日後になります。
もしココがニジェールだったら焦っていました。
しかし、私はもう独りではありません。
休日にも関わらず連絡をくれた日本国大使館の担当職員の方。
今回の件は全て私に落ち度があり、そのせいで多大な迷惑をかけてしまっているのですが、責めることなく親身に対応してくれまして。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

担当の方からは来館までに申請に必要なものを準備するように指示を受けました。
既に手配したものも含めて改めて一覧にしてまとめます。

『帰国のための渡航書』の申請に必要なもの

  1. 警察署の発行した盗難証明書の原本
  2. 6ヶ月以内に発行された戸籍謄本の原本
  3. パスポートサイズの顔写真【3~4枚】
  4. 日本行きの航空券予約確認票のデータ
  5. 申請費用12000セーファーフラン(約3000円)

②戸籍謄本に関しては3日前に妻が日本から国際スピード郵便(EMS)で在コートジボワール日本国大使館への発送を完了してくれました。
まだ到着はしていませんが、送った事実があるので手続きは進められるそうです。
そして待ったなしでGOサインが出た④日本行き航空券の予約。
あまりに早すぎて逆に心配になりますが、日本までの飛行ルートが決まらないと『帰国のための渡航書』を作成することはできない仕組みになっているんです。
もちろん喜んですぐに航空券を検索しました。
アフリカからは片道20万越えが当たり前の日本行きの航空券。
痛い出費ですが仕方ないと言い聞かせます。
ただ、安ければ安い方が嬉しいのは当然で。
見つけたのは19万円で帰れるチケット。
日本到着までは2日ほどかかりますが、時間だけはたっぷりあるので問題ありません。
購入したのは3日後、7月4日正午アビジャン発の航空券です。

「これで帰れるぞ!!」

・・・この時はこの決断に疑う余地など一切ありませんでした。
少しでも安い航空券をと考えケチった数万円。
しかし、これがのちに大きなトラブルを引き起こすことになります。

2023年7月2日〈事件から6日後〉

申請に必要なものは昨日の時点で全て準備ができたので今日は完全フリーの一日です。
となると羽を伸ばしに行きたいところですが、念には念を入れて外出は極力控えることにしました。
パスポートが無い状態で何かあったら面倒なことになるので。

その代わりに1泊1万円以上する高級ホテルでのんびり過ごす日曜日。
食事もかなり高くつきますが、外に出られないことを言い訳にして贅沢を自分に許します。
コートジボワールの主食アチェケが食べられたので少しは観光気分も味わえました。

2023年7月3日〈事件から7日後〉

そして週明け月曜日。
用意した書類を持ってホテルから歩くこと5分。
やって来たのは在コートジボワール日本国大使館が入っているオフィスビルです。
遂に辿り着きました!
日本帰国までもう残りあと僅(わず)か!!
エレベーターに乗って日本国大使館がある2階へ進みます。
受付を済ませてから中へ入りますが、館内はスマホの持ち込み禁止。
入口で警備の方に預けて保管してもらいます。
荷物検査も受けたところでいざ日本国大使館内へ。

出迎えてくれたのは今日までずっとやり取りをしてくれた担当の方。
ようやく直接会ってお礼を伝えることができました。
そのあとは申請に必要な書類(『紛失一般旅券等届出書』と『渡航書発給申請書』)を作成します。
用紙は全て日本国大使館が用意してくれていたので書式に沿って記入。
それが終わればあとは発行されるのを待つだけ!
ですが、この日は機械の故障で発給できないとのことで、渡航書の受け渡しは明日になることに。
ちょっと心配ですが手続きは全て完了したのできっと大丈夫。

2023年7月4日〈事件から8日後〉

少なからずの緊張感を残したまま迎えた日本帰国の朝。
飛行機は正午発なのでゆっくり朝食を食べる余裕はもうありません。
開館時間の8時半ピッタリに日本国大使館にやって来ると手渡されたのが

こちらの『帰国のための渡航書』です。
自筆でサインをしたあとにラミネート加工が施されて完成します。
ウワサでは聞いたことがありましたが本物を見るのはこれが初めてで、もちろん興奮しました。
しかし、それはほんの一瞬で、そのあと実感したのは長い間お世話になったパスポートとの永遠のお別れです。
もう帰ってこないアフリカ40ヶ国以上をいっしょに旅してきた相棒。
思い出が詰まったたくさんのビザも消え・・・白く輝く薄い渡航書を手にして、失ったものの大きさを痛感しました。

何はともあれ帰国のための渡航書を無事にゲット!
最後にもう一度日本国大使館の担当の職員さんにお礼を伝えたら急いでホテルに戻って身支度を整え、タクシーに乗ってアビジャンの街に別れを告げます。

「日本に帰るぞ~!!」

朝早くから動いたので出発の2時間前に空港に着くことができました。
あとは何事もなく出国できることを願うわけですが、そう簡単にはいきません。
なんせ私が所持しているのはパスポートではなく渡航書。
空港職員に見せると

「なんだコレは!?」

という反応をされます。
たしかに一枚の厚紙を蛇腹折りにしてパスポート風にしている渡航書はニセモノ感MAX。
疑われるのは当然なので、しっかり説明するしかありません。
そしてパスポートチェックが至るところで何度もあるのはアフリカの空港あるある。
その都度パスポートを紛失したことを伝えます。
いいんです、日本に帰れるなら!

そんなこんなでやっとチェックインカウンターまで来ました。
航空会社のスタッフさんにも事情を説明して、航空券の予約確認票といっしょに渡航書を渡します。
これでチケットを受け取って、あとは出国審査を通過すれば・・・

「ダメだ」

だからこれは『帰国のための渡航書』といって、正式なものなんですよ!

「ダメだ、そこで待っていて下さい」

多くの旅行者で混雑したコートジボワールの国際空港。
職員さんも大忙しの様子で、面倒くさそうな私は後回しにされたのでした。
・・・いやいやいや、頼みますマジで!!

隙(すき)を見つけて声をかけてアピールを続けること数十分。
お客さんの列が短くなったところでようやくスタッフさんが対応してくれる素振りを見せてくれました。
が、返答は先ほどと変わらず。

「ダメだ」

何度訴(うった)えても理解してもらえないのでさすがにイライラしてきます。

「一体なんでダメなんですか!?」

すると分厚い本をパラパラめくるスタッフさん。
それは世界各国の出入国に関する情報が乗っているマニュアルでした。
その中の1ページを開き、スタッフさんが私に説明をしてくれます。

「ビザが必要なんだ!」

・・・えっ??

「この飛行ルートだとインドの乗り継ぎでビザが必要なんだよ!」

てっきり渡航書がダメなのかと思っていたら、実は問題は全く別の所にあったんです。
そしてそこから発生したトラブルの連鎖。
果たして何が起きたのか?
全ては私が買った航空券から始まります。

『帰国のための渡航書』で帰国する際の注意点

避けた方が無難なインド乗り継ぎ便

予約サイトで航空券を購入する際によく見かける「ビザの必要の有無に関してはご自身でご確認下さい」のアナウンス。
まぁ今回は日本に帰国するだけなのでビザの心配は全くしていませんでした。
が、スタッフさんから伝えられた衝撃の事実。
私の飛行ルートで予定されているインドでの乗り継ぎには『トランジットビザ』と呼ばれる乗り継ぎのためのビザが必要だというのです。

「そんなバカな!?」

これまで幾度となく各国の空港で乗り継ぎをしてきましたが、そのためだけにビザを取得したことは一度もありません。
なので当然のように疑ってかかる私に対して、マニュアルを示しながら解説をするスタッフさん。

「インドでの乗り継ぎの際に利用する航空会社が変わる場合はトランジットビザが必要なんです」

英文でハッキリと書かれているのでぐうの音も出ませんでした。

「マジかよ~~」

トランジットビザを持っていない私の搭乗が受け付けられることはなく、チェックインカウンターはクローズ。
はい、飛行機には乗れませんでした!

『帰国のための渡航書』では他国への入国はできない

乗るはずだった飛行機を見送るという経験は何度もしているので慣れたものではありますが、今回は話が別です。
一刻も早く日本への帰路につきたいのに・・・
さすがに文句の一つも言いたくなります。
ただ、誰に何を言ってもムダなんです。
根本的にミスをしていた今回の航空券選び。
『帰国のための渡航書』はパスポートとは異なり、許可されているのは日本への帰国だけです。
そのため他国への入国はもちろん、乗り継ぎのためだけであってもビザを取得することはできません。
つまり、私が購入した航空券ではそもそも帰ることができなかったんです。
もしかしたらインドの空港で捕まっていたかもしれないと思うと、ココでしっかり搭乗拒否をしてくれたエチオピア航空のスタッフさんには感謝しないといけません。
ということで再度航空券を探して購入。
出費は倍になりましたがもう吹っ切れるしかありません。
私の失敗が誰かの万が一の際のお役に立てれば幸いです。

『帰国のための渡航書』は指定された空路でしか利用できない

先に結論を言います。
新しい航空券を手に入れたあとに向かったのはついさっきサヨナラしたばかりの日本国大使館。
なんと『帰国のための渡航書』を再度申請することになりました。
・・・なんで??ですよね。

実は渡航書には日本帰国途中に乗り継ぎをする予定の都市が「帰国経由地」として記載されています。
そして注意書きには「この経由地以外の地域に渡航した者は旅券法により罰せられる」ということが明記されているんです。
そう、インド経由の航空券がパーになった時点で使い物にならなくなった一枚目の渡航書。
なのでもう一度申請書を書き、費用も払いまして・・・ここまで来るともう笑えてきます。

新しい『帰国のための渡航書』を手にして再び空港に戻ってきたのは午後9時。
ここに至るまで他にもイロイロなことがあった一日でした。
もはやこれ以上大変なことはないと思うと無敵モード突入。
どうだ!と言わんばかりに堂々と航空券を見せていざチェックインの列に並びます。

発券されたモロッコ航空の搭乗チケット。
出国審査もなんとか無事に通過して、これにてコートジボワールの出国手続きが完了。

「やっと帰れます!!」

2023年7月5日〈事件から9日後〉

ここからはサクッといきます。
深夜1時半に出発した飛行機に乗ってまずやって来たのは北アフリカのモロッコ。
乗り継ぎのために搭乗口で待っていると

「コジマ~」

と突然の呼び出しがあったのでドキッ!としましたが、日本までの航空券を渡していただきこれで帰国確定。

その後、モロッコからアブダビ(アラブ首長国連邦)へ飛び、そこから更に飛行機を乗り継ぎ・・・
コートジボワールを出発してから合計約50時間。

2023年7月6日〈事件から10日後〉

到着ロビーに出た瞬間、無事に帰国することができた喜びと、助けていただいたみなさんへの感謝の気持ちで胸がいっぱいに。
帰ってきました。
日本です。
いやー、本当に長い道のりでした。

「ただいま〜!!!!」

それでは、旅を締めくくります。
5月末からおよそ1ヶ月半をかけて6ヶ国を巡った9度目のアフリカ旅。
シエラレオネを旅したのが遠い昔のように感じられます。
最後は残念な幕切れとなりましたが、自身の過信や未熟さに気付けたことは今後の旅を見直すきっかけになりました。
大事なのはこの経験からしっかり学び、次に生かすこと。
大好きなアフリカをもっと知りたいので、私は旅を続けます。
アフリカ54ヶ国制覇まであと10ヶ国!
安全第一の楽しいアフリカ旅をすることを改めてここに誓い、アフリカ54ヶ国制覇の旅-第9章-の幕を閉じます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。

アフリカ54ヶ国制覇の旅-第10章-へ続く

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