ナミビアを旅する㉓ 青年海外協力隊物語Part2 〜北部の村で暮らす子どもたち〜

2021年6月13日、天気晴れ。

青年海外協力隊物語Part2

私が青年海外協力隊として活動したナミビア北部の小さな村ブンヤ。このブンヤがあるカバンゴと呼ばれる地域には川が流れています。

オカバンゴ川

オカヴァンゴ川は、アフリカ南西部を流れる川である。南西部では4番目に長く、全長は1,600kmある。アンゴラ高原に源を発し南東へ流れ、アンゴラとナミビアの境を越えボツワナにまで達している。

【Wikipediaより】

正式にはオカバンゴリバーと言いますが、「オ」を省略してカバンゴリバーと呼ぶ方が多いです。このカバンゴリバーもナミビアの北限を流れる川。川の向こうは隣の国アンゴラです。

このカバンゴリバーから徒歩2分の場所にあった私の家。この川を毎日見ながら2年間生活をしました。目と鼻の先に違う国が広がっているというのは何とも不思議な感覚でした。

そして人々の暮らしと共にあるカバンゴリバー。これまでの旅で南を流れるオレンジリバー、北西を流れるクネネリバーを訪れてきましたが、それらの川とは異なり人々の暮らしを直接的に支える生活用水になっているのがこのカバンゴリバーの特徴です。

アフリカというとイメージされる水の入ったバケツを頭に乗せて運ぶ人々の姿はこの地域では日常の風景。日中は川で洗濯をし、夕暮れ時には川で水浴びをする人の姿も見られます。

はるか昔、アフリカ大陸の中央部から南へと大移動をしてきた人々(バントゥー系民族といいます)。その彼らが現在のナミビアの地に入る際に最初に越えたのがこのカバンゴリバーになります。そこにあったのは豊かな川沿いに広がる肥沃(ひよく)な土地。この場所を発見した人々の一部はこの地に定住することを決めました。それがカバンゴと呼ばれる人々です。

…この村付近のことに関して書き出すとつい熱が入り、歴史にまで触れてしまいます。ちなみに、カバンゴ川での定住を決めた人々がいれば、さらにナミビアの西部や南部へと進んだ人々もいます。それが先日ご紹介したヒンバをはじめヘレロ、オバンボと呼ばれる人々です。さらにナミビアにはサンやダマラといった元々この地に暮らしていた先住民がいて、時が進んで植民地時代には南アフリカの地からオーラムやバスターという人々が支配から逃れるようにこの国の地に移住してきます。多民族国家ナミビア。この国の歴史は非常に興味深いです。が、歴史の話はここでおしまい!

カバンゴの暮らし

今日はそんなカバンゴリバー沿いに懐かしい村周辺を歩くことに。

豊かな川が流れるこの地域では農業の他にも牧畜が盛んに行われています。人の数よりウシの数の方が多いのがこのカバンゴです。

そして魚が道路脇で売られている光景もこの地域ならでは。今は釣りのハイシーズンではないので投げ網でとれた魚を干物にして売っている家庭が多いです。

そう、この地域ではなんと肉と魚どちらも食べられるんです!少し内陸に入ると肉が基本のナミビアにおいてこれは本当にしあわせなこと。おかげで協力隊生活中に食事で困ったことは一度もありませんでした!

ちなみにウシや魚以外にもヤギにニワトリと様々な動物が当たり前のようにいる北部の村周辺ですが

こんな動物も!乾季に入り川の水位がだいぶ低くなる10月頃からカバンゴリバーでその姿を見ることのできるカバ。

いつも見ている川に突然現れるから驚きです。もちろんカバが川にいる際は泳いではいけません。

さらになんと道路脇にはこんな標識が!!このカバンゴからナミビア北東部にかけてのエリアはゾウの生息地にもなっています。

ということで非常に豊かな自然が広がるカバンゴリバー沿い。特に何かがあるわけではありませんが、この景色を見ながらの散歩は本当に楽しいひと時です。

伝統工芸「シクンバ」

カバンゴの伝統工芸の一つに「シクンバ」というバスケットがあります。川沿いに生息するノンバレと呼ばれる植物の葉を使って編まれるシクンバ。

地元のお母さんたちが全て手作業で仕上げていきます。かぎ針を自在に操(あやつ)って時計回りで進んでいく作業。高さを変えていけばバスケット、平らに編んでいけば「スーコー」と呼ばれるコースターや鍋敷きのようになります。

2017

こんな感じで途中に違う色を編み込めば綺麗な線が。これは川沿いの特定の植物といっしょに煮ることで作り出すことができる違う色のノンバレを使います。自然の中にある知恵を活かして作られる美しい伝統工芸品です。

ということで協力隊時代にシクンバ作りを見せてくれたみなさんの所に寄ってきました。今日もキレイなシクンバを見せていただき思わず欲しくなって購入!カバンゴのお母さんたちの想いがこもったシクンバです。

4年前とほとんど変わらない景色を眺めながらまるでタイムスリップしたかのような気分で歩いていると目の前を横切るウシの行進。こののどかな暮らしの雰囲気がカバンゴの魅力です。夕方になると川辺から自分たちの家までウシを追い立てて戻すのが人々の仕事。ここに自分は住んでいたんだよなぁ〜としみじみと感じながら写真を撮っていたその時でした。

「コジマーー!!」

えっ?目の前でウシを追いやっていた男性たちの方から声が聞こえてくるんです。もしや自分のことを知っている地域の方かなぁと思い近づいていくと

ブンヤ村の子どもたち

まさかの教え子!!身長もすっかり伸びてガタイもよくなっているので驚きました。

2016

が、その顔を見ればすぐに思い出しました。

気がつくと歩き続けて3時間。いつの間にか任地の村ブンヤまで戻ってきていました。ここからは懐かしい教え子との再会の連続!

2016

彼らと会うと最初はまずその成長した姿にもうビックリ!村の景色はほとんど変わっていませんが、子どもたちの見違えるような姿に4年の歳月が経過したことを強く感じ、なんとも不思議な気分になります。

そしてすぐに気になるのは彼らの今の状況。学校に留年制度があり日本のように必ず進級ができるわけではないナミビア。あれから4年経った今、いったい彼らは何年生なのかは彼らの元教科担任として非常に心配なところです。少し怖い気もしながら聞いてみると

2017

「今は9年生だよ!」

5年生だった彼らが9年生に。しっかり学校に通い勉強を続けていることが嬉しいのと共に安心しました。いやー、本当に嬉しい!!

2016

中には病気で学校を退学したという子もいましたが、会う教え子のほとんどが進級をしていて。青年海外協力隊のキャッチコピー

『いつか世界を変える力になる』

2年間の活動では目の前の子どもたちのために自分にできることに精一杯取り組みましたが、思うようにいかなかったことの方がほとんど。子どもたちに楽しい学びを!!その一心で挑戦し続けた2年間でした。

ですがハッキリいって世界を変えることができたとは全く思っていません。自分の力の小ささを感じたのもこの2年間の協力隊経験の財産です。世界を変えることはできない。自分にできることは『自分にできること』!今もこうしてブログを書いています。アフリカのことを少しでも知ってもらえたらと思いながら、今日も私は自分にできる「ブログを書く」ということをしているわけです。

2016

そしてそれはブンヤの子どもたちも同じようでした。彼らも自分にできる勉強を続けてきたからこそ、こうして進級して今も学校に通い続けているわけです。

互いに成長した姿で再会できることが本当に嬉しくて仕方がありません。

中にはお母さんになっている子も。彼女は子育てをしながら今も学校に通い、今は9年生になったそうです。この若年妊娠はナミビアとしては教育課題の一つになっています。子どもがいることで就学が困難になり、路頭に迷うことにつながるというわけです。

2016

もちろんこれが問題であることは事実。しかし、彼女は家庭と学習を両立させようと努力しているようでした。その顔はとてもしあわせそうで。そんな彼女は「おはようございます」の日本語の挨拶もバッチリ覚えてくれていました。君ならきっと大丈夫!ずっと応援してます。

2016

嬉しい再会はまだまだ!勉強はあまりできないけれど、魚を釣ることに関してはものすごい才能を見せていた彼は

10年生に。当時はよく彼から魚を買わせてもらいました。なんと今日もバッタリ会った彼の手には大量の魚が!相手が先生だろうと値切るなんてことはしない商売上手でもある彼。

本日もさっそくとれたての魚を学校の先生に売っていました。

2016

算数の勉強にものすごく意欲を見せていた彼。面積の学習ではなんとタテ×ヨコをすれば1㎠がいくつ分かがわかることを自力で発見する数学的才能の持ち主でした。小さくて笑顔がかわいかった彼は

11年生に!すっかり大人に雰囲気の彼ですが今もその面影はハッキリと残っていました。得意教科は数学だそうです!

2016

そして今回何より感激したのは会う生徒みんなと英語で会話ができること!ナミビアの教育の最大の問題は『英語』。公用語が英語のナミビアですが、小学校段階の子どもたちの多くは英語がほとんど理解できません。しかし教育は英語で行われるナミビア。このジレンマに何度挫折(ざせつ)しかけたことか。

それが4年経った今。日本でいう高校生ほどの学年になった彼らは自分たちのことを英語でいろいろと伝えられるようになり、私の質問にも流暢(りゅうちょう)に返答するんです。本当に勉強を頑張っているんだなぁとますます感心させられました。

アフリカ一番の絶景

懐かしい顔にたくさん出会えて、胸がいっぱいになった村散歩。最後は協力隊時代に何度も見たカバンゴリバーに沈む夕日を眺めにやってきました。

「アフリカ一番の絶景はどこですか?」

という質問をされることがよくあります。私にとってはやはりこのブンヤの村の景色になります。何もないはずなのに、全てがある村。今回改めてこの村を訪れたことで、このブンヤが私にとって大切な場所になっていたことに気付くこともできました。

私のアフリカのふるさと「ブンヤ」。いつまでも変わらない美しい景色と、大きく変わった子どもたちの姿に出会えたしあわせな1日でした。

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